秀樹さんの部屋から聞こえる……
「ご自宅にも何度も泊まりにいかせてもらっていました。僕は20歳まで大阪に住んでいたんですけど、X JAPANが大好きで、東京ドームでコンサートがあって秀樹さんが大丈夫なときは、必ずお世話になりました。年末やお正月が多かったですね。
1997年の大みそか、秀樹さんはYOSHIKIさん作曲の『moment』という楽曲で紅白歌合戦に出られたんですけど、ちょうどX JAPAN がいったん解散する日で、僕は東京ドームのコンサートに行ったんですね」
──たしか東京ドームのあとの紅白がX JAPANの本当のラストステージでしたよね。しかも『moment』ではYOSHIKIさんが秀樹さんのバックでピアノを弾いた。
「それです。そのあと一緒に秀樹さんちに泊まったら、秀樹さんの部屋から紅白のビデオを見ている音が聞こえるんですよ。
ぶっちゃけ、何回見るんやろと思いました。50回くらい見てました(笑)」
──そんなに!?
「しかも秀樹さんの前がドリカムさんだったんですよ。巻き戻してパッと止めて司会の中居正広さんが “DREAMS COME TRUEのみなさんでした。ありがとうございました。次は西城秀樹さんです”ってところになるんです。何回見るんやろ、と(笑)。大音量で聞こえてくるんです(笑)」
「友達も一緒に4人ぐらいで押しかけたこともありました。僕は先に寝ていたんですけど、友達が夜リビングのソファに寝そべっていたら、ガチャッて秀樹さんがドアを開けて “これ、誰?” “あ、まーくんのお友達です”って(笑)。
でも、友達みんなにお年玉をくれて、優しかったですよ。そのころ、まだ高校生だったので夜遊びに行くとかはなかったですけど、本当に何度も行かせてもらいました」
──取材でおうかがいしましたが、おしゃれなお宅でしたよね。半地下の階に自然光が入るように地面を掘り下げてあって、門を入ったら橋を渡っていく。
「そうでしたよね。玄関までね。広いお宅なのでアスレチックみたいで楽しくて、かくれんぼをしたり。上の階には電子ドラムとピアノが置いてある歌の練習部屋があって、そこでもよく遊ばせてもらいました。
あとは大みそかパーティーを100人くらいでやってたこともありました。子どもからしたら大みそか、雰囲気のいい水槽のいっぱいある空間に、大人がいっぱい集まっていてすごく不思議で。住宅街に車が20〜30台も停まっていて、ちょっと異様でしたけどね(笑)」
──めったにできない経験ばかり。素敵な環境で育ちましたね。
「本当にありがたいですよね。秀樹さんが大阪にいらしたとき、僕のバンドの演奏で『Through the night』(1984年のアルバム『GENTLE・A MAN』収録/角松敏生作詞・作曲)を歌ってもらったことがあります。
秀樹さんが来てくれるっていうんで友達と一生懸命練習して、わざわざ練習スタジオに来てもらって。やっぱりすごい迫力でした。大阪の家のどこかにビデオが残ってると思います」
──優しい叔父さんですね!
「ムチャな子どもの願いをいっぱいかなえてくれました。何を頼んでも “いいよー”って。ギターとか音楽機材とかもいっぱい買ってくださって」
──秀樹さん自身も10代のころはドラムをやっていました。
「はい。上手いですよ。ちょっとジャズっぽいんですけど、独特のグルーブ感があります。加藤茶さんとドラム対決とかYouTubeにもいくつか動画があがっています。そういう意味では、芸能人で楽器ができる走りじゃないでしょうか。
秀樹さんは子どものときに広島にいて、バンドのドラマーでスタートしてます。で、評判になってスカウトされて “歌えないの?”と言われたそうです」