アニメ作家・安田現象が誕生するまで

安田現象さん作・『呪いの人形』シリーズより。制作時はCG制作ツールのblenderが使用されている

──安田さんのアニメは3DのCG技術が使われていますよね。美大に進んでから、3DCGに触れはじめた経緯についても教えてください。

3DCGに初めて触れたのは、進学した美大でした。そこで“油絵で食べていくことは難しい”という事実を目の当たりにしたんです。それならば絵の勉強を生かしつつ将来の仕事に役立つ技術を身につけようと思い、当時はまだ新しい業界だった3Dに目をつけました。その後専門学校にも通い、大学卒業後はゲーム会社に3Dクリエイターとして就職しました

──就職先の候補はほかにもいろいろとあったと思うのですが、その会社を選んだ理由は?

自分のルーツである“ゲーム”の分野で最大手の会社だったことと、3Dによる戦闘シーンなど、本腰を入れて良質な作品をつくっている会社だったことが入社を決めた理由です」

──そして、経験を積んだ後にフリーのクリエイターになった。

「そうです。いい会社だったのですが、自分が入社した当時から関わりたかったゲームのジャンルが縮小傾向で、最大手だったその会社をもってしても、これ以上ゲームに投資はできないという判断になってしまったんです。加えて、3Dクリエイターの仕事も、自分のやりたい方向性とは大きくズレてくることがわかりました。“俺のゲームはもうここにはないんだな”と感じて、どうせ仕事をするなら楽しいことがしたいと、独立することに決めました」

──「俺のゲームはここにはない」。熱い想いを感じます……。

ゲームを通じて描かれる物語に、いちばん惹かれていたんですよ。表現も自由度が高く数十時間分のコンテンツもあって、過激な性描写やグロいシーンなど、かなり突っ込んだ表現ができます。さまざまな表現をもとに、見知ったキャラクターの世界を連載漫画並みに深掘りすることができるんです。ゲームの世界観と物語を体験することが、とてもおもしろかったんです

──冒頭で、“前にライトノベルの賞に応募した”と話していましたが、その挑戦を始めたのはゲームが原点だったんですね。

「そうです。ゲームのつくり手に回ったとき、自分自身で物語をつくってみたいと思うようになり、ラノベ作家に挑戦しようと決めました

──当時、ラノベ一本で食べていこうとは思わなかった?

「正直、当時はそういう考えもありました。でも、いくら賞に応募しても箸(はし)にも棒にも引っかからない期間が数年間続いて。そうするとモチベーションが保てなくなってくるんです。

 一方で、本業の3Dクリエイターのほうは、ある程度技術を身につけて中堅レベルになっていました。クリエイターとしての自分の立ち位置を振り返ってみて、自分がつくった物語をアニメ化できるのではないかと思ったことが、ショートアニメの制作につながったんです

安田現象さんがSNSで初めて投稿したアニメ『ちょっと忘れ物』

──なるほど。ラノベへの挑戦と挫折がきっかけでアニメ作家・安田現象が誕生し、『メイクラブ』の制作につながるのですね。

「そうなんです。ラノベの賞に応募していたときは、たくさんの人から作品を見てもらうことがありませんでした。SNSを通じて多くの人に自分のつくった作品を見てもらえることが、純粋に嬉しかったです。それからは、自主制作アニメをSNSに投稿して、さまざまな方に直接見てもらう方向に意識も活動もシフトしていきました」