中2でプロデビュー! 一度は離れた鉄道写真の道に戻り、撮影のため95か国へ

──鉄道写真はいつから撮り始めたのですか? 鉄道フォトジャーナリストとしての原点は?

「中学生になってから父親のカメラで撮り始めたのですが、それがいきなり雑誌に載ったんです。長野の小海線、蒸気機関車の写真でした。コンクールでも入賞して、中学2年で写真家デビュー。すでに原稿料をもらって、プロとして写真家をやっていました。

 大学を卒業するときに、ニコンサロンで個展も開くことができました。そのおかげで最初の写真集『凍煙』(プレス・アイゼンバーン刊)を出さないかと声をかけていただき、就職試験にも有利に働いたんです。親は、長野で写真館に就職できるように勝手に話をつけていたんですけど、写真館なんかで働きたくなかったんですよ。

櫻井さんのデビュー写真集となった『凍煙』  撮影/齋藤周造

 そのころ、“鉄道専門誌より一般の写真の撮り方を身につけたほうがいい”とアドバイスされて出版社の世界文化社に入ったのですが、来る日も来る日も物撮りばかりで。たまに人物を撮りに行く仕事のほうが楽しかったですね。今では“給料をもらいながら写真の技術を学べた”と感謝していますが、鉄道の仕事は皆無でした。しかも、蒸気機関車が大学卒業と同時になくなっていたので、撮影することもなくなりました。やっぱり蒸気機関車がメインですから。音を聞いて、匂いをかいだだけでもテンション上がるんです

──一度は離れた鉄道ですが、本格的に鉄道写真家としての道を歩み始めたきっかけは?

「経営者のポートレートを任されて、京セラの稲盛和夫さん、ダイエーの中内功さん、サントリーの佐治敬三さんなど、日本を代表する実業家の方々を撮らせていただきました。その写真で個展を開けたら会社をやめようと思っていたのですが、個展が実現したんです。最初の写真集の編集者が黒岩保美さんで、国鉄のグリーン車のマークを作ったデザイナーだったのですが、彼女に“櫻井さんは、あれだけの鉄道写真を撮っていながら、もう鉄道に戻ってこないんですか”と言われて。定年まで会社にいたい気持ちもあったけど、“それでいいのかなぁ”と、揺れていた気持ちが吹っ切れて、入社15年目でフリーになったんです。

 フリーになってから、『毎日グラフ』(毎日新聞社刊)で鉄道の特集があり、表紙から全部任せていただきました。それを見たJTBの方から連絡をいただき、旅の本で仕事をするように。宮脇俊三さんや斎藤茂太さんなどの作家の同行カメラマンとして、旅の撮影をするようになりました。今ではその経験が肥やしになっていますね。

 そのうち雑誌の連載なども依頼されるようになり、これまでに95か国で撮影しています。中でもおもしろかったのが、JR東日本の車内サービス誌『トランヴェール』で、7日間で海外に行って列車旅をした様子をまとめる『セブンデイズトラベル』という連載でした」

ご自身が撮影した『藍 よしのかわトロッコ』のポスターをうれしそうに見せてくれる櫻井さん 撮影/齋藤周造