「たこ焼き屋になる」という夢を実現するものの、人間関係に悩まされ……

──子どものころから文章を書くことがお好きだったんですか? どんな少年時代でしたか?

「家にいることが好きだったんですよね。幼少期はカブトムシを育てたり、ミニカーで遊んだり、文章というよりは絵を描いてストーリーを考えたり、とにかく1人遊びが好きなタイプでした。小学生になると、活発に外で遊ぶようになりました。家が商売をやっていて、商店街のあるアーケードに住んでいたんですが、アーケード内が遊び場で、ローラースケートやスケボーで遊ぶ普通の少年でしたよ。

 ちょっと変わっていたのは、小学校5年生のころから、そのアーケードにあったたこ焼き屋の手伝いをしていたことでしょうか

──遊びたい盛りに、たこ焼きを作るほうが魅力的だったんですか?

「両親は商売をやっていたので忙しくて、“外で遊べ”と言われていたんですね。僕の家は商店街のど真ん中にあったので、外といえばアーケードということになります。そこで遊んでいるうちに、家の近くにあったたこ焼きのテイクアウト店に入り浸るようになりました。店のおばちゃんになついて、よく話を聞いてもらっていたんです。学校から帰ってきて、そのまま店に行き、“今日こんなことがあった、あんなことがあった”と話せる相手がいることが、うれしかった。同年代の子どもと遊ぶより、おばちゃんといるほうが楽しかったんです。大人の中にいるほうが、心地よかった。

 そうこうするうちに、だんだん店を手伝うようになって、たこ焼きの作り方をイチから教えてもらうようになりました。小学生のときには、自分が手がけたたこ焼きを商品として売るようになり、“自分のたこ焼きを通して喜んでくれる人たちがいる”という快感を知ってしまったんです。買ってくれた人が、“昨日の焼き方はおいしくなかった”、“今日はいい味だね”などと感想を言ってくれるたびに、自分の仕事に対する手応えを感じました。“大人が、子どもである自分の作るものに、ちゃんと向き合ってくれているんだ”と。誰かが喜んでくれることに醍醐味(だいごみ)を感じ、その境地に至るツールがたまたま“たこ焼き”だった。この時点で、将来たこ焼き屋になろう、と決めました

──そこで3坪のたこ焼き屋さんを始めるわけですね。どのように夢を実現していかれたのですか?

「10代の後半で、大分から東京に飛び出してきたんです。“たこ焼き屋になるための道を作ってくれる人脈を開拓したい”と必死でした。人脈という言葉すら知らないころ、ただただ、たこ焼き屋になりたいがために、“教えてください、力を貸してください”と、ひたすら出会いを探していました。結果的には、オタフクホールディングスの現社長である佐々木茂喜さんにたどり着くことができました。佐々木さんは当時、東京の支店長でしたが、彼の前で“たこ焼き屋をやりたくて東京に出てきました”と熱弁をふるっていたら、築地銀だこの社長に会わせていただけることに。そこでまた、たこ焼きへの情熱を熱心に語ったら、“じゃ、ウチくるか”と修業をさせていただくことになったんです。

 その後、26歳で九州に帰って、3坪のたこ焼き屋の行商を始めました。それが軌道にのり、“笑顔が集まるもうひとつの家”というコンセプトのもと、『陽なた家』という店をオープンしました。バースデーイベントでショーをやり始めたら、全国から人が集まるようになり、やがてウェディング事業にまで発展していきました

──出会いを求めて自ら動くうちに力を借りることができ、成功したわけですね。

「たこ焼き屋を始めた当初は、とても苦労しました。店を始めたはいいものの、店の中の人間関係が全然うまくいかなくて。スタッフがどんどんやめていき、諍(いさか)いばかりの毎日でした。古劇場のような形のオープンキッチンにしていたので、表面上は笑顔でお客様に向かっています。しかし裏では、“今日はこれを失敗してまた怒られた”と誰かが泣いている。そして、自信をなくしてやめてしまう。表では笑顔、を求められ、裏では沈んでいる……みんな、だんだんこの矛盾に耐えられなくなり、切羽詰まっていましたね。

 それでも僕は、新しい出会いがあれば何とかなると思って、助けてくれる人を求めて、あちこち出かけていたんです。でも、結果的に救ってくれた人は、すぐ側にいたんです。うちの店に来てくれていたお客さんでした。

 そのころは、相談に出かけた社長全員に言われました。“現場を大事にしろ”と。そう言われても、その現場がうまくいってない。だから僕はチャンスを探そうと、やみくもに人と会う。助けてくれる誰かを見つけたいという下心でいっぱいだったんです。

 そんなとき、斎藤一人さんに、“君、そんな出歩いてどうするんだい?”と問われたんです。“いや、人生は出会いで決まりますから”と返したら、“お金と時間がもったいない”と言われ、ビックリしました。普通なら、“そうだよな、人生は出会いで変わるから、いろんな人に会え”とでも言ってくれそうなのに……日本一の大商人が放ったひと言は、価値観をひっくり返される衝撃がありました。続けて、“君にとって本当に大切な人って誰?”と聞かれ、言いよどんでいると、“答えを言おうか。それは君を頼って、君のことが好きだと言って集まってくれたスタッフたち、そして来てくれるお客様。これが君の最高の人脈だ”と。“えー!”と驚きながらたじろいでいると、“間違いなく、その人たちが君の人生の扉の鍵を持っているんだ”と断言されたんです。

 今の時代、確かにSNSなどで、簡単につながりができるかもしれません。しかし実際のところ、それはただの“つながった感”です。じゃあ、本当のピンチに陥ったとき、その中の誰が駆けつけてくれるのか? おそらく、SNSでいつも“いいね”をくれている人は傍観していますよ。“つながった感”から広がるチャンスもなくはないかもしれません。でも僕はやっぱり、最大のチャンスは今、目の前にいる人たちの喜びを深めていくことにあると思っているんです