少女まんがを甘く見るな! 社会的意義のある少女まんが文化をもっと広めたい

 今やすっかり日本のカルチャーとして世界に誇れるようになった少女まんが。とはいえ、いち個人として財を投げ打って、なぜここまで少女まんがに人生を捧げているのだろうか。そこには中野さんと大井さんに悔しさや憤りがあったから。

少女まんがって、これほど社会の変化や歴史をはらんでいる文化なのに、少年まんがよりずっと扱いがぞんざいだったんですよ。少年まんがの名作は図書館にありましたが、少女まんがはほとんどありませんでした。このことからも、男尊女卑の一端が垣間見えます」(大井さん)

 中野さん・大井さんによると、少女まんがは60年代から“女性による女性のためのもの”として劇的に変わっていって、70年代に花開いていった。こうした少女まんがの歴史の変遷は、女性が解放され、社会に認められ、社会進出していく過程と呼応しているのだそう。それを体現した漫画家というのが、萩尾望都一条ゆかりをはじめとする、高度経済成長期に現れた団塊世代の女性漫画家たちだった。

女性自身の感性で、少年まんがにはなかったさまざまな世界を作り上げてくださった先生方。彼女たちが少女まんがの時代を切り開いたと言っても過言ではないと思います」(大井さん)

池田理代子の『ベルサイユのばら』の連載が開始した1972年発売の『マーガレット』(集英社刊)
中野さん・大井さん夫婦が最も好きな少女まんがだという萩尾望都の『ポーの一族』は1972年に連載がスタート。2016年から、40年ぶりの新作が『月刊フラワーズ』7月号(小学館刊)に掲載された

 何気なく読んでいたまんがに、そんな意味があったと考えたことがあっただろうか。夢中になって読んでいたストーリーを俯瞰して見てみると、実は学べることがたくさんあるのかもしれない。

『女ま館』開設当初に、この図書館の話をすると、地域の人や行政の人からは“少女まんがを集めて意味があるの?”という反応をされることも多かったんですよね……。少女まんがの図書館なんて、ゴミの集積所だと思われていたのだと思います。苦い思いをしたことも多かった数十年ですけど、時代は変化し、少女まんがの社会的な地位が上がってきていて、認知度も高まってきています。それはとてもうれしいことですね」(中野さん)

 60歳を迎えた中野さん・大井さん夫婦だが、この先も人生をかけて「女ま館」の運営を続けていくのだろうか。大井さんは言う。

ここで生まれ育った娘が、“私は『女ま館』の娘です”って自分から言うんですよ。ああ、こうして継承されていくのか、って実感できたというか。本当に継ぐかはわからないけど、姉妹館を含めて、若い世代の方が担い手として手を挙げてくれています。だから安心ですね。こうした担い手がいつか引き継いでくれることを願いながら、大切な少女まんがの地位向上のためにも、私たちはこれからもできる限り活動を続けたいですね

(取材・文/永見薫)

〈施設情報〉
■少女まんが館
住所/東京都あきる野市網代155ー5
アクセス/JR五日市線武蔵増戸駅より徒歩25分(2.2km)
入館料/無料
定期開館日/4月〜10月の毎土曜日 13:00〜18:00
冬期休館/11月〜3月
※来館の際は事前に要予約。詳しくはホームページを参照。

*ホームページ:https://www.nerimadors.or.jp/~jomakan/

〈PROFILE〉
中野純(なかの・じゅん)
少女まんが館共同館主、体験作家、闇歩きガイド。1961年、東京都生まれ。年子の姉と妹に挟まれて少女まんがにまみれて育ち、やがて姉や妹よりも少女まんがに詳しくなる。パルコでイベント企画、宣伝を担当後、フリーに。1989年に大井らと有限会社さるすべりを設立、1997年に大井らと少女まんが館を創立。『闇で味わう日本文学』(笠間書院)、『「闇学」入門』(集英社)、『闇と暮らす。』(誠文堂新光社)、『月で遊ぶ』『闇を歩く』(アスペクト)などの暗闇関係の著書のほか、地獄の婆鬼、奪衣婆について熱く語った著書『庶民に愛された地獄信仰の謎』(講談社)も。

大井夏代(おおい・なつよ)
少女まんが館共同館主、研究編集者。1961年、神奈川県生まれ。少女時代、『ポーの一族』主人公の吸血鬼エドガーがいつでも入ってこれるようにと2階の自室の窓を開けて寝た。大学の卒論のテーマは少女まんが。パルコ『アクロス』編集室を経て、フリーの編集者、ライター、ストリートファッション考現者に。最近は雑誌の少女まんが特集の監修も。著書に『あこがれの、少女まんが家に会いにいく。』(けやき出版)など。中野純との共著に『少女まんがは吸血鬼でできている:古典バンパイア・コミックガイド』(方丈社)。