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全盲ろうの息子と母との物語『桜色の風が咲く』脚本家・横幕智裕さん。34歳で会社を辞め上京し、夢を叶えるまで

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映画『桜色の風が咲く』の脚本を務める、脚本家・横幕智裕さん 撮影/山田智絵
目次
  • 34歳のときに、北海道から上京。37歳で脚本家デビュー
  • 漫画ではなく“原作持ち込み”で、異例のデビューを飾る
  • 11月4日公開『桜色の風が咲く』で伝えたかったこと

 11月4日公開の映画『桜色の風が咲く』の脚本を務め、紙&電子シリーズ累計250万部突破の人気漫画『ラジエーションハウス』の原作者でもある横幕智裕さん。近年はドラマ『名建築で昼食を』、『ちょこっと京都に住んでみた。』(テレビ大阪)、『ザ・タクシー飯店』(テレビ東京系)など、数々の作品を手がけていらっしゃいます。

 今回は、人気漫画の原作者になるまでの経緯や、小雪さん主演の映画『桜色の風が咲く』に込めた思いなどについてお話を伺いました

34歳のときに、北海道から上京。37歳で脚本家デビュー

脚本家・横幕智裕さん 撮影/山田智絵

──37歳のときに、ドラマ『鉄道むすめ〜Girls be ambitious!〜』(テレビ神奈川ほか)で脚本家デビューをされていますが、それまでお仕事は、何をされていたのでしょうか?

34歳までは地元(北海道)の金融機関で働いていました。その後、脚本家になりたくて会社を辞め、東京に出て学校に通いはじめたんです

──34歳で会社を辞めるのはなかなか勇気がいることかと思います。上京するときはどんな心境だったのでしょうか?

ずっと脚本家になりたいと思っていて、働きながらコンクールに応募していたんですが、なかなか結果が出ませんでした。でも今後のことを考えたとき、“このタイミングを逃したらきっと後悔する”と思い、挑戦するために仕事を辞めたんです。まあ、かなり無謀だったと思います(笑)」

──そこまでの強い思いがあったからこそ、今の横幕さんがいらっしゃるのですね。なぜ、脚本家になりたかったのでしょうか?

ドラマや映画が好きだからです。大学生のときは演劇をやっていて、戯曲も書いていたんです。そのときに、シナリオ学校に行っている友人を通じて制作会社のプロデューサーと知り合い、2時間サスペンスドラマのプロット(※)を書くアルバイトもやっていました

※プロット:脚本全体の構成を端的にまとめたもの。ストーリーの設計図としての役割を果たす

──経験もなく、プロットを書ける能力があったのは、すごいですね。

「もともと小説も好きで、本をいろいろと読んでいたんです。中学生のときは日本のミステリーを、高校生のときは海外のミステリーをよく読んでいました。ストーリーを考えるのが好きなんですよね

──知識を積み重ねてきたことでのベースがあったんですね。東京に出てきてからは、情報番組の構成作家のお仕事もされたとか?

「プロットのアルバイトをしているとき、プロデューサーに“構成作家をやらないか”と誘われたんです。初めは、携帯で見られるモバイル放送の情報番組でした。

 その後、テレビ局の報道の人とつながり、そこで情報番組の構成台本を書く、構成作家をやるようになりました。

──その頃の構成作家の経験が、脚本家の仕事にも役立っていますか?

「役立っています。情報番組といっても、どういうところで盛り上げ、最後はどのようにまとめるかというのは、シナリオの起承転結と変わらないところがあると思っています。

 もちろん場合によって内容が変わることはありますが、収録のときは“こういう流れで”というものを、スタッフが共通して理解しておくことが大切ですし、収録自体が盛り上がることも重要なんです」

──構成作家を経て、どうやって脚本家になられたんですか?

構成作家をやりながら、脚本やドラマの企画書を作っていたんです。初めての脚本は30分のミニドラマでしたが、実際に見たとき不思議な気持ちになりました。自分が書いたとおりに俳優さんたちがセリフを言って、動いていて……」

──横幕さんの夢が叶(かな)った瞬間ですね。

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