『M-1グランプリ2020』(テレビ朝日系)で準決勝に進出し、大ブレイクを果たしたおいでやす小田さん。以降、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)や『ラヴィット!』(TBS系)などあらゆるバラエティ番組に出演。さらに、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』や、『石子と羽男 ―そんなコトで訴えます?―』(TBS系)などのほか、『石子と羽男〜』のスピンオフとなる配信ドラマ『塩介と甘実 ―蕎麦ができるまで探偵―』では主演を務め、大車輪の活躍を見せています。
生き馬の目を抜く芸能界は、賞レースで優勝した芸人ですらテレビに出続けるのが難しいもの。バラエティ番組でも、「一度は呼ばれるけれど二度目が来ない」「主要なバラエティを一周したら、落ち着いてしまった」というケースが多いですが、小田さんの場合は一つひとつのチャンスをものにしてすっかりバラエティ常連となっています。いったい、どんな戦略があるのでしょうか。インタビュー後編ではそこに焦点を当て、じっくりと話していただきました。
(R-1ぐらんぷり準決勝への進出や、コンビとしての活動時代のお話は前編で紹介しています→記事:おいでやす小田の奇跡的な“強運”とピュアな“お笑い愛”。『M-1』前から確かにあった予兆)
瞬発力だけは絶対に衰えさせてはいけないと思った
──『M-1』で大爆笑をさらいブレイクした小田さんに伺いたいのですが、お笑い芸人は実力と運のどちらの比重が高ければテレビで売れると思いますか?
「どうなんでしょうね……? ちょっと質問とはズレてしまうかもしれないけど、実力のない人が売れることはないと思います。一発屋にしても、流行を作り出して世に出る能力があるということなので、僕は相当すごいことやと思うんです。テレビが勝手に出したり出さんかったりするだけで、お笑いの実力も才能もとんでもないはず。だから、どんな形であれ、売れる芸人の条件は実力に比重があるのは確かですね。あとは、見つかるきっかけがいつやって来るか。運はそこだけかな」
──実力があれば、いずれ見つかるのではないかと。
「結局、実力がある人は周りが放っておかないんですよ。最近で言うと、もう中(もう中学生)が再ブレイクしたのも、麒麟の川島(明)さんが無観客でやっていた劇場公演のネタについて、テレビで話題にしたことがきっかけやったし。もう中なんて、周りからはずっと“面白い”と言われていましたからね。
最近でいえば、アイロンヘッドやななまがりとかも、もっと売れていい。いずれ世に出ると思いますよ。きっかけとして一番わかりやすいのが賞レースというだけで、それ以外の売れる方法もたくさんあると思います。そうして見つかった芸人は、テレビにアジャスト(適合)していって、視聴者は知っていくだけ」
──小田さんの場合は、すごく自然にアジャストされましたよね。
「まあでも、収録でめちゃくちゃなミスをするときもありますけどね(笑)。ただ僕は、芸人になったときから“賞レースで優勝して世に出る”と決めていたんです。だから、優勝後バラエティ番組に呼ばれたときのためにイメージトレーニングはずっとしていました。
例えば、劇場のライブの平場(※トークなどネタ以外のパート)も、テレビの練習やと思ってずっとやっていました。劇場だけのノリにはいっさい参加しなかったし、後輩がMCをやってるライブでも大御所がMCをやっているバラエティの収録やと思ってその場にいました。
“ダウンタウンさんがMCの番組で、そのノリはしないやろ”みたいな考え方ですね。だから、テレビに出たときはそんなに違和感なかったですね」
──積み重ねが功を奏したんですね。劇場特化の方もいれば、テレビを目指す方もいるお笑い界らしいお話ですが、それは、小田さんの考えるゴールにダウンタウンさんがいたからですか? それとも、子どものころから見ていたテレビに憧れがあったからでしょうか?
「そこはもう単純にテレビに出たかったからです。とはいえ、いざ出られたときに“どうしよう”じゃあ遅いんで、イメージトレーニングをしていた感じですね。特にR-1に出始めてからは毎年優勝するつもりやったんで、早めに準備しといて損はないやろうと」
──売れるための戦略、ですね。
「あと、芸歴を重ねる中で自分の武器は瞬発力しかないと気づいて。絶対衰えさせたらあかんと思っていたので、劇場では自分専用の個室があってもそこに入らず、大部屋で誰かしらと絡(から)んでいました。最近は個室でゆっくりすることもあるんですけど、世に出る準備として、東京に出てきたあたりからやっていましたね。
定期的に主催しているイベント『おいでやす小田で遊ぼう』もその一環です。ルミネ(theよしもと)で後輩たちにめちゃくちゃにされるっていう内容なんですけど、それも一つひとつをさばく瞬発力がめちゃくちゃ必要なんですよ(笑)」
──お話を聞いていると、自分に合った売れ方や売れる道筋みたいなものがよくわかっている方なんだなと感じます。
「いやぁ、そんな大したもんではないですよ。ただ、逆張りみたいなところもありますけどね。漫才師やコント師に比べて、ピン芸人って少数派やからどっか変じゃなかったら売れへんという思いがあったんです。だから、みんなが良しとする方向のほぼ逆をやっていました。
劇場ノリをしなかったのはそれもあったし、エピソードトークが主流になったときも、みんながエピソードを作っている横で僕はピンネタを作っていました。そうしないと、コンビの人に勝てないと思ったんで。どっか“いびつ”じゃないと目立たないんですよ」
──ピン芸人だからこその考え方ですね。
「たぶん、僕がコンビを解散していなかったら、劇場ノリもエピソードトークも積極的にやっていたと思います。絶対必要なことやから。ただ1人で戦う場合は、やり方がちょっと違う気はしますね」
──ご自分の芸人生活のことを、本当に長期的に考えていたんですね。
「こっからは何も考えてないですけどね。第一の矢を当てることしか考えてこなかったので、二の矢、三の矢があるかというとそうじゃない。こっからは、自分でもどうなるかわからないけど、そこが楽しみです」