幼少期から祖母譲りの「うれしがり」。大学の友人に触発され“好き”を追う人生に

──会社の話が出たので、順を追って今までのchikaさんの人生をお聞きしたいです。

「子どものころは、大阪の自然が多い地域で育ちました。まじめで優しい父と、子どもに何かあるたびに“相手はこう思ったんじゃない?”といろいろな角度から物事を教えてくれる母、双子の妹の5人家族でした。すぐ近くに祖父母が住んでいたので、よく遊びに行ったり、両親とケンカしたときは1週間ほど泊まらせてもらったりもして。祖父母のように、いつでも自分の味方をしてくれる存在がそばにいてくれたのは心強かったですね。

 祖母は小さな出来事に対しても一つひとつ感謝する人で、理由を聞いたら“私、うれしがりなの”と答えてくれたのを覚えています

──「うれしがり」って、すてきな言葉! 著作を読んでいると、何かあったときにchikaさんがいろいろな人に感謝をする場面が出てくるので、chikaさんも、おばあさん譲りのうれしがりなのでは?

そう言われてみると、フィンランドを好きになったきっかけが、8歳のころにサンタさんに手紙を出して返事をもらったことで、私の手紙の書き出しが“プレゼントをくれてありがとうございます”でした。祖母の影響が大きかったのかもしれません。今も、おばあちゃん子です。

 父は寡黙な人でしたが自然が好きで、私が小学6年生のときに“田舎で暮らしてみたいから、みんなで1年間小さな村で暮らそう!”と言って、それを実現するようなアクティブな一面もありました。

 私が成長して“英語学校に行きたい”と言うと、英語を学ぶのではなくて、英語で何かを学べる大学が載っている新聞の切り抜きを持ってきて、“言語を学ぶのもいいけど、chikaはそれを手段にして何かを学ぶほうがいいんじゃない?”と教えてくれたことが印象に残っています。

 何があっても生きていく強さを教えてくれた父には感謝していますし、父がまじめでありながら思い切って行動するタイプだったから、母も私がフィンランドに行くとき“行くと決めたら行くんでしょ”と受け入れてくれたのかもしれません

chikaさんが憧れ続けた、フィンランドにあるサンタクロース村 写真:本人提供

──大学は出身地である大阪ですか?

「いえ、九州にある大学で、学生の半分が日本人、もう半分が留学生でした。日本人も東京や大阪から来た学生が多い個性的なところで、1回生のころから“あなたはどんな人?”、“何が好き?”と聞かれることが多くて。みんなそれに対して“私は〇〇が好き”、“学生時代の4年間でこれがしたい”とすぐに答えられる人ばかりで、衝撃を受けました。

 そこで、私は今まで自分のことに無関心だったのだと気づき、大学の初期段階で“空っぽな自分の箱の中に好きなことを詰めていこう”と決めました

──意志の強い学生がたくさんいらした大学だったのですね……私は女子大だったからか、「卒業後は早めに結婚するのがハッピーロード」と思っている友達が多かったので驚きです。

「私も地元はそうで、家族からも平穏な人生を望まれていたと思います。だけど大学では“温泉名人になる!”とか、“友達100人作る!”とかでもいいので、少しでも“好き”、“心が動いた”と思ったら、それを大事にしよう、自分自身に敏感になろう、と決意したんです。

 それからは、『北欧こじらせ日記』にも描いたように、子どものころからの“フィンランドが好き”という気持ちをさらに自覚する出来事が重なり、大学卒業後は北欧と関わりのある企業に就職しました」

晴天の下にそびえ立つヘルシンキ大聖堂。chikaさんは学生時代からフィンランドに何度も赴き、そのたびに「ここに住みたい!」という思いを募らせていったという 写真:本人提供