アスリートがセカンドキャリアで感じる無力感と悔しさ

 3歳からサッカーを始め、サッカーの強豪校の青森山田高校に進学後、サイドハーフやウィングとして活躍。選手権大会では、全国3位を経験した吉田開さん。プロサッカー選手の夢を諦められず、大学卒業と同時に海外のモンテネグロへ。

 しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大によりロックダウン。目指した目標が達せられず、帰国の途へ。そうして、学生のころに興味を持ったITの世界へ飛び込むため、アーシャルデザインへ入社しました。

──なぜ海外でのプロ選手を目指したのでしょうか?

「大学時代もサッカー部に所属していましたが、思うような結果が出せず、消化不良のまま就職活動を行っていました。しかし、このままだと一生悔いが残ってしまうと思い、モンテネグロのプロリーグに挑戦しました。

 最終的にはドイツやスペインのような強豪国のトップリーグを目指していたのですが、直接行くと下位リーグからのスタートになってしまうため、小国のプロリーグで結果を出して、ステップアップした方が効率的だと思い、モンテネグロを選びました。

 でも渡欧したタイミングで、新型コロナウイルス感染症が拡大してロックダウンになり、試合のできない日々が続きました。さらに慣れない海外生活で、当初思い描いていた“レギュラーポジションを半年の間に取る”までの結果に至らなかったため、帰国することにしました」

──後悔はなかったのでしょうか?

「自分でラストチャンスだと目標を持って取り組んでいたので、ロックダウンなど予期せぬことが起こりましたが、悔いはなかったですね」

──アーシャルデザインはどのように選んだのでしょうか?

「大学生時代に趣味でプログラミングを勉強していて、興味がありました。アーシャルデザインのホームページを見ると、サッカー経験しかない僕でも評価してくれそうな会社だったので、ここにしか応募しませんでした」

──プログラミングのどこが面白いですか?

サッカーと違うところですかね。サッカーはまったく同じ局面がないので、正解がありません。でもプログラミングの場合は、間違ったコードを書けば動かないですし、正しいコードなら誰であっても動きます。つまり、正解が1つだけです。

 やればやるほど知識や技術を吸収でき、次のことに生かしやすくなるので、成長スピードも圧倒的に速いです。それに、知らないことを知ることが、自分にとってこんなに楽しいことなんだと、初めて気づきました。自分が作ったプログラムが、目の前で動くのもうれしいですね」

──反対に大変だったことや、苦労したことはありますか?

やっぱり“何も知らない”“何もわからない”ことですね。サッカーに限らず、スポーツを第一線で頑張ってきた人は、その競技には強いですが、その分それだけに時間を割いているため、他の分野のことは何も知らないケースが多いと思います。

 私の場合は、プログラミングにおいて、何が当たり前なのかがわからないので、最初は周りの人に聞いていいのかもつかめませんでした。そのため案件に入りたてのころは、ささいな質問さえ怖くてできなかったくらいです。

 たぶんこの感情は、サッカーをやっていたころの“無駄なプライド”を引きずっていたからだと思います。自分の場合、小さいころからサッカーをやっていたので、自我が芽生える前に、ある程度基礎ができあがっていました。それゆえ、こいつには負けたくないという気持ちが働き、“うまい”と思う選手にも素直に聞けなかったところがあります」

元サッカー選手で、現在ITエンジニアとして働く吉田開さん 撮影/近藤陽介