「わからない、何もできない自分」をまず受け入れてみる
──それが現在のキャリアでは、どのように変わったのでしょうか?
「“わからない自分”“できない自分”を受け入れることで、素直に人を尊敬することができるようになりました。何もできないので、“人に頼るしかない”と思ったからだと思います。もちろん、できない自分への悔しさはあるので、そこは成長するバネになりました。自分にとって当たり前なことでも偏見を持たずに、周りに接するようになれたのはひとつの学びになったと思います。
もうひとつは“準備をすること”ができるようになりました。モンテネグロへの挑戦の際はなんとかなると思い、語学をまったく勉強せずに渡航しました。その準備をしていたら、もっとチームに溶け込めたと思います。
そこで、準備の大切さを痛感したので、アーシャルデザインの面接前も何を話すのかを事前に考えましたし、いまも新たなプロジェクトにジョイン(参画)する際は、事前に情報を収集するようにしています。そうすれば、技術の定着度も全然違います」
──現在、アスリート時代の強みをどのように生かしていますか?
「アスリートのときは、 他の人よりもうまくなるために“何が足りないのか”を常に考えて、プレーやトレーニングをしていました。課題を抽出する力と、それをコーチや先輩から学ぶためのコミュニケーション力は小さいころから養ってきた部分だと思います。
例えば、自分がわかっていることと、わからないことを整理して伝えることで、求めているアドバイスをもらえるので、非常に有効だと感じています。こうしたスキルによる経験の積み重ねと、周りからの支援により、2022年には『アスリートエンジニアアワード』という社内表彰を受けることができました」
──最後に、次のキャリアを考えている現役アスリートに対してメッセージはありますか?
「アスリートの方は、みなさん現状に満足していないと思いますが、その気持ちを忘れずに、目の前の競技に全力で取り組んでほしいと思います。モチベーションを維持する力は、社会で生き残っていくうえでも非常に求められます。“自分の機嫌は自分で取る”というところが大事になってくるので。悔いのない競技人生を歩んでください!」
次回は、難病を乗り越え甲子園に出場し、憧れのプロ野球選手という夢をかなえた柴田章吾さんにインタビュー。アスリート引退後、ITコンサルタントの職業を経て、現在は起業家として活躍しています。“アスリート時代に得た経験や強みを、就活にどのように生かしたのか”“自分に合った職をどのように見つけ、試練をどう乗り越えたのか”などについて、お話を伺いました。
(取材・文/西谷忠和、編集/本間美帆)