東京スカイツリーの根元に立地している商業施設「東京ソラマチ」内で人気の「立ち喰い梅干し屋」。このお店を経営している、株式会社バンブーカットの代表取締役・竹内順平さんは、実は、人気落語家・立川志の輔さんのご子息なんです。

 なぜ、起業の道に進まれたのか。どうして「梅干し」なのか。竹内さんのこれまでの経緯についてお話を伺いました。

第1弾記事:みかん梅、辛子梅太子......16種類の梅がそろう「立ち喰い梅干し屋」の竹内順平さんが語る、“ちょうどいい塩梅”

「ほぼ日」で、“パン屋さんだって表現者”であることを学ぶ

──お父さんは落語家さんですが、ご自身は落語家の道を進まなかった理由は何でしょうか。

「実は、大学を卒業する直前に、3度ほど父に弟子入りをお願いしたのですが、“お前は違う”と断られたんです。僕は、周りにいい友達に恵まれているから、人を束ねて行う仕事のほうが向いている、という理由でした。

 ただ僕的には、落語家になる覚悟が伝わらなかったのかなと思います。実際にそこまでの覚悟があったのかというと、当時はあるつもりでいましたが、今この年齢になって改めて振り返ってみると、足りなかったなと思います」

──大学卒業後は、コピーライターの糸井重里さんの会社(株式会社ほぼ日)でアルバイトとしてお仕事をされていたのだとか。どんな職務をされていたのでしょうか?

「基本は受付業務だったのですが、“受付にいない受付”と言われてしまうくらい、雑用やイベントなどのお手伝いをしていました。当時は、“糸井さんの一言一句を逃さないで学ぼう”という気持ちでいました

──その経験で、どんなことを学ばれたのですか?

「当時の僕は、父の(落語の世界の)環境で育ったこともあり、“舞台の上こそが面白いのであり表現なんだ”と考えていたところがあったのですが、糸井さんに“パン屋さんだって、パンで表現している。表現者なんだよ”と教えていただいたんです。糸井さんのところに入って、いかに自分が“面白い”と思っていたものが狭かったかということに気づきました

 また、糸井さんの会社で働いている人たちは、優秀な方々ばかりで、一緒にお仕事をすることで学ぶことがたくさんありました。“いつか、ああいう会社にしたい”と思って、今、自分の会社を頑張っています

──現在、経営されているバンブーカットを起業したのは、大学の同級生だった切替瑶太さんに誘われたのがきっかけだったのだとか?

25歳のときに、“一緒に何かやらない?”って言われたのですが、すぐに断りました(笑)。もちろん一緒にやりたくないということではなく、お互いに社会人の経験が少ないから、“誰も仕事なんてくれないし、まだ早い”という意味で。

 でも、“仮にやるとしたら、何をやる?”と聞かれて、考えているうちに、“じゃあ、(試しに)やってみようか”という気持ちになったんです。

 当時は、“3年で食べられなくなって解散してしまうだろう”と思っていたので、法人化する予定はまったくなかったです。仮に解散になっても、“そういう人生の3年間があってもいっか!”という気持ちでした。

 でも、3年のつもりがぎりぎりで続けることができ、2016年に法人化して、今年で7期に入りました。今は、会社に僕と切替のほか、社員5人がいて、アルバイトさんが20人ほどいます」

会社を立ち上げる経緯についてお話してくれた竹内さん 撮影/山田智絵

「梅干し」は“日本の代表食”なのに、詳しく知らないことに疑問を感じた

──なぜ、プロデュース会社として「梅干し」に狙いを付けたのでしょうか?

「梅干しは、日本の代表食の1つだと認識している自分がいて、誰に聞いてもそう思っているという回答が来るのですが、学校で“梅干しが代表食の1つ”だと教えられたわけではないし、いつからそういう認識になったのかもわからない。極めつきが、そんな代表食なのに、僕は梅干しの作り方を何も知らなかったんです。そこに、面白みを感じました」

──竹内さんにとって梅干しは、“不思議な存在”だったということですね。梅干し関連の仕事をするにあたり、どんな行動を起こされたのでしょうか?

「まず、梅干し関連本を片っ端から読みました。そして、本だけではわからないので、和歌山県立医科大学の宇都宮洋才(うつのみや・ひろとし) 医学博士にお話を伺いに行き、その後、紀州で農家さん、加工業者さんなど、梅干しにかかわる人たちとお会いしました

 お話を聞くと、“おいしい”とか“健康にいい”ということが多かったのですが、僕は梅干しに対して、もっと別の“面白い要素”を感じていたんです。そこで、それって何だろう? という思いをイベント(展示会)で表現しました。

 当時、渋谷にあった西武渋谷店モヴィーダ館のLOFT&ロフトフォーラムで、『にっぽんの梅干し展』という展示会を開催したんです。“梅干しを食べないイベント”で、クリエーターの人に梅干しにまつわる作品を作っていただいて、展示しました

──藤子・F・不二雄さんの漫画『ウメ星デンカ』の複製原画や糸井重里さんのエッセイ、浅田政志さんの梅干しを使った写真作品などが展示されて、梅干しの存在意義やビジュアルが生かされた、センスの光るイベントだったようですね。

でも、せっかくいろいろな梅農家さんとの人脈ができたのに、梅干しは出さなかったのですか?

「実は、お土産用に梅干しの販売だけはしたんです。40種類くらいの梅干しを仕入れて。それが、意外と売れたのが、発見でした」

表参道で開催された『ナイス、すっぱい! にっぽんの梅干し展』の様子

──それにしても、設立して間もない会社での初めてのイベントを、渋谷のロフトでできたのは、すごいですね。

「実は、それは糸井さんの会社で働いていたからこそ、なんです。糸井さんがロフトで手帳を販売していたつながりで、“お話だけでも聞いてください”と、ロフトの人につなげていただきました」

──イベント後、「立ち喰い梅干し屋」さんの出店には、どうつながっていったのでしょうか?

「このときのイベントを知ってくれた、表参道ヒルズの担当者さんから声をかけてもらったのがきっかけです。

 ただ、表参道ヒルズのイベントを行う場所を見たときに、生意気にも“ここではできないかもしれません”というお返事をしたんです。そうしたら、“別の企画を考えてみてほしい”と言っていただいたので、『立ち喰い梅干し屋』のイベントにしました。これは、ほぼ今のお店と同じスタイルのイベント版です」

──なぜ、表参道ヒルズでは、“食べるスタイル”にしたのですか?

「会場の広さ、場所、壁面の大きさなどが、環境的に前回のイベント内容とは合わなかったんです。

 それに、梅干しのリサーチのときに何百種類の梅干しに出合っていて、“そもそも若者は梅干しに出合っていないのではないか”と感じていたので、“食べないイベント”の次は“食べるイベント”にしようと思っていました

 当時、表参道はパンケーキ、チョコレート、ポップコーンと、洋食のお菓子が人気で行列ができていたので、“和食ではダメなのか?”と疑問に感じたんです。そこで、表参道ヒルズのコンクリート打ちっぱなしの空間の中に、(相反する)和風の会場を出現させました」

──斬新ですよね。何か内装などでヒントにしたもの、イメージしたものはあるのですか?

「僕はドラマ『深夜食堂』が大好きで、“小林薫さんが演じるマスターが出した梅干しは、絶対に美味しいはずだ”と思っているところがあり、僕が小林薫さんになりたかったんです(笑)。

 イベントはうまくいき、2時間待ちの行列ができるほどでした

 お話を伺っていてわかったのが、竹内さんは、初めは糸井さんからチャンスをもらったかもしれませんが、そのチャンスをきちんとつかんで生かしている、ということ。もしかしたら表参道ヒルズのイベントで、先方の要望どおりにしていたら、今の竹内さんはいなかったかもしれません。

「違う」と思ったときは、きちんと自分の意見を言って、新たなアイデアを提案して成功させたのは、すごいこと。それは、才能あってのことでしょう。

初めは東京ソラマチでの出店をためらっていた

──表参道ヒルズのイベントの後は、どんなご活動をされたのですか?

「表参道のあと、北海道、新潟など、全国のいろいろなところでイベントを行いました。そのとき、東京ソラマチのご担当者さんから“実店舗をやりませんか?”とお声をかけていただいたんです

 でも、初めはお断りをしたんです。出店するには、内装費や敷金、礼金とお金がかかりますし。1か月間のイベントであれば人が来てくれますが、これを1年、5年、10年とやり続けられるとは思えなかったからです。

 それなら、“イベントでどうか”という話になって、1か月間のイベントを年に4回行ったんです。1か月行って、2か月休んで、また1か月行って、といったペースで。

 1年間やってみたときに、売上の平均が見えてきて、“もしかしたらこれならできるのかもしれない”と考え、次の1年は、イベントを行いながら店舗計画に入り、オープンしました」

父・立川志の輔さんに教わったこと

──お父さんの立川志の輔さんからは、いつもどんなことを教わったのですか?

父からは、きちんと“ありがとう”を言うように教えられてきました。過去に父に怒られたときはたいがい、“ありがとう”と言えなかったのが原因なんです。

 今でも、父の知り合いの人から何かをいただいたときは、父に報告しているのですが、報告の次の日には、父から“お礼状を書いたか?”とすぐ確認の電話が飛んできます」

──お礼状ですか! メールで済まさないんですね。メールでのやりとりが多い今の若い人たちは、お礼状どころか、手紙を書くことすらしなくなっていますが。

「僕はメールよりは、電話をかけるようにしているのですが、今、若い人にとっては“電話をしてくる人は面倒”だという風潮もあるので、どうしたらいいのか、迷うことがありますこのままだと“面倒くさいおじさん”みたいに思われますよね……(笑)

終始、笑顔でお話を聞かせてくれた竹内さん。本当にいい笑顔! 撮影/山田智絵

──お話を伺っていると、お仕事もうまくいっているし、才能も生かしているし、むしろ落語家さんになるよりよかったのでは? とすら感じるのですが、いかがですか?

今の仕事が天職かどうかまではわかりませんが、ただ、“父がやっていること”と“僕がやっていること”は、重なるところがあるとは感じています

 父は“昔ながらの古典芸能の世界で、新しい新作落語を作って、今の人たちになじむ落語に変化させている”ように、僕も“昔から日本になじみのある梅干しを使って、今の人たちに受け入れてもらえるにはどうしたらいいのかを考えながら、楽しんでやっている”ので。

 やっていることは違いますが、似ている部分はあるのかなって思います

◇  ◇  ◇

 お話は上手ですし、クリエイティブな方なので、仮に落語家さんとして活動しても、ひょっとしたらうまくいってたかもしれません。しかし、今はそのユニークな才能を生かし、“自分の道”をきちんと切り開いています。

今後の「梅干しの未来」も、竹内さんの活躍も楽しみです。

■立ち喰い梅干し屋

東京都墨田区押上1-1-2 東京ソラマチ 4F
電話番号:03-5809-7890
営業時間:[月~日]10:00~21:00
年中無休
https://tachigui-ume.jp/

【PROFILE】
◎竹内順平(たけうち・じゅんぺい) 1989年10月17日生まれ。株式会社バンブーカット代表取締役。
梅干しの魅力にひかれ、全国300種類以上の梅干しを食べ歩きながら、その魅力を伝えるイベントを企画し、日本各地やフランスでも開催。現在、「立ち喰い梅干し屋」のほか、浅草に炊き立ての羽釜ごはんと梅干し、ごはんのお共を頬張れるお店「梅と星」(https://ume-hoshi.jp/)を経営している。