人間国宝が教えてくれた本当の演じ方、吹き替えの技法
──長い声優人生の中で、納得のいく吹き替えができるようになったのはいつぐらいからですか?
「いまだにないですよ、そんなの。収録後の帰り道に“あれでよかったのかなあ”と反省する日々だし、あとでできあがった映像を見て“下手くそだなあ”と落ち込むことがよくあります」
──羽佐間さんのような大ベテランでも落ち込むんですか?
「そりゃ落ち込みます。ずいぶん前のことですけども、ぼくは発声のために浄瑠璃を習っていた時期があるんですよ。そのとき、後に人間国宝になる竹本越路大夫さん(※12)からご指南を受けたんです」
(※12)竹本越路大夫(たけもと・こしじだゆう):人形浄瑠璃文楽の太夫。1966年に四代目竹本越路大夫襲名。1971年には人間国宝として認定された。1989年に引退。人物の語り分けと音使いが巧みなことで知られた。2002年没。
「ぼくが演じた『壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』(※13)という演目を越路太夫さんに見ていただいたときのことです。この浄瑠璃は“沢市”という目の見えない男と、お里という女房との夫婦愛が描かれる物語なんですけど、お里は容姿端麗で、盲目の沢市にも尽くしているんですが、夜中になると家を出てどこかへ行ってしまうんですね。沢市の目が治るようにと観音様に願かけに行ってるんですけど、そうとは知らずに沢市は“浮気をしているに違いない”と思い込むわけです。
それで、ある夜、“今晩こそとっちめてやる”と沢市は寝ないでお里の帰りを待っていました。そして、お里が帰って来るなり、“お里か!”と叫ぶわけです。そのときのぼくの演技について、越路大夫さんにこう言われました。“沢市は目が見えへんさかいに、目から(顔の正面から)お里を振り向くようにはなりまへんのや。耳からいきまんねん。目からいくのと耳からいくのとでは、発声が違いまんねん”。
このときは、本当にもう“目から鱗(うろこ)が落ちる”だったね。そこまで細かいところまで情景を意識して演じなくてはならないんだと。ぼくは新劇で素晴らしい人たちとめぐり会うことができたし、俳優座でも千田是也(※14)さんほか、一流の役者や演出家に会ってきましたけど、このときほど感動したことはなかった。越路大夫さんには、ほかにもいくつかご指南いただいたんですけど、本当にすべてが金科玉条。忘れられない言葉として残っています」
(※13)『壺坂霊験記』:明治時代に作られた浄瑠璃の演目。本文のシーンのあと、沢市はこのまま生きていてもお里の足手まといになるだけと、谷に身投げしてしまう。それを知ったお里も悲しみ、後を追うように谷へ身投げする。しかし、観世音菩薩が奇跡を起こして2人は生き返り、沢市の目も見えるようになるという結末を迎える。
(※14)千田是也(せんだ・これや):日本の俳優、演出家。1944年に俳優座を創立。同座代表を務めるなど、戦後の新劇界を牽引(けんいん)する存在として活躍。舞台、映画を中心に多数の作品に出演している。1994年没。
羽佐間さんほどのベテランになってもご自身の吹き替えに満足することなく、落ち込むなんて意外でした。さらに技術を高めようと日々アップデートしている姿にも頭が下がります。次回、最終話(第4回)では、声優業界の変化や若い声優との接し方などについて語っていただきます。
◎第4回:羽佐間道夫さん#4「山寺宏一は陰で相当努力している、林原めぐみは吹き替えも抜群にうまい」(11月13日18時公開予定)
(取材・文/キビタキビオ)
《PROFILE》
羽佐間道夫(はざま・みちお) 1933年、東京都生まれ。声優・ナレーター事務所ムーブマン代表。舞台俳優を志して舞台芸術学院に入学。卒業後、新協劇団(現・東京芸術座)に入団した。その後、おもに洋画の吹き替えの仕事から声優業に携わるようになり、半世紀以上に渡り第一線で活躍。『ロッキー』シリーズのシルベスター・スタローンほか、数々の当たり役を演じている。アニメーションやナレーターも多数こなす。2001年に第18回ATP賞テレビグランプリ個人賞(ナレーター部門)、2008年に第2回声優アワード功労賞、2021年には東京アニメアワードフェスティバル2021功労賞を受賞。自らプロデュースし、人気声優も出演するイベント「声優口演」の開催を15年にわたり続けている。