最後の地バラナシへ

 2019年、会社を退職して思いつくがままに向かったインド旅行も、いよいよ最後の目的地へと到着した。「バラナシ」という街である。

バラナシに到着

 街へ到着した瞬間から、今までのインドとは全く違う、時空が何百年も前から止まっているかのような、異様な空気が漂うのを感じていた。

 バラナシは、インドで最も神聖な都市とされ、この場所で死んで火葬されることは、ヒンドゥー教徒にとっては輪廻からの解脱を意味するらしい。

 ガンジス川沿いを散策していると、人々が死を待つための宿が並んでおり、その正面には火葬場があった。いくつもの死体が同時に焼かれ、遺灰が川に流されていく。

ガンジス川沿いの火葬場

 これは非常に幸せなパターンで、実際には火葬の費用を支払えない貧困層も多い。彼らも同様に、死を前にしてバラナシへとやって来る。

 そうした人たちは、死後、特に何も施されることもなく、川面に浮かんで流されていく。

 実際にバラナシの滞在中、死体が川を流れていくのを目にするのは珍しいことではなかった。

 そんな人生の終着点であると同時に、この街において、ガンジス川は下水が流れる場所でもある。

 人間の死体だけでなく、人々の排泄物も、工場から出た排水も、全てがガンジス川へ流されているのだ。

「俺、さっき頭まで浸かってきたぞ!」

 日本人バックパッカーの声が聞こえてくる。

 彼らの中にはインド人に混ざって沐浴することを目的にバラナシに来ている者も少なからずいる。

 その行為は、自らの勇敢さを誇示するエピソードとして、生涯の語り種に使ってやろうという、よこしまな企みを孕んでいるように思えた。

 大腸菌が基準の何十倍だとか、入ったら赤痢になるだとか、下調べの段階からそんな情報ばかりで「絶対にガンジス川には入らない」と固く心に誓っていた自分には関係のない話だった。

 とはいえ、せっかくこの街に来たのだから、川沿いを一通り見物したい。

 そんな自分にピッタリなサービスが、ガンジス川のボートツアーだった。

 悪質なツアーもあると聞いていたので、宿泊していたゲストハウスお墨付きの少年が舵を取るボートに乗り込み、川から街を眺めた。

 若い男たちはせっせとボートを漕ぎ続ける。また別の男が「チャーーイ!」と絶叫しながらやかん片手に別のボートから飛び乗ってきて、また別のボートへジャンプしていく。

 火葬場の周りでぐったりしている精気を失った牛たちとは対照的な男たちの逞しさ。そして街全体を覆い尽くす死の匂いが、得体のしれないカオスを生み出していた。

混沌と暴力

 ツアーを終えて河岸へ戻ると、なにやら少年たちが一人の女性を取り囲んでいた。
少年たちは、その女性をボートに乗せようと腕を引っ張っている。

 彼女は日本語で「やめて!」と抵抗していた。

 ボートのツアーを調べていた際に、日本人女性がボートの上で少年に暴行され、挙句の果てにはガンジス川の対岸に置き去りにされてしまうというケースが頻発しているという記事を目にしたのを思い出す。ちなみに対岸は不浄の地とされ、建物一つ立っておらず、人の姿も見えない。

 私は咄嗟に少年たちの手を振りほどいた。

 地団太を踏む彼らに中指を立て、女性と一緒にその場を後にしようと前を向いたその時、「ドンッ」という衝撃が背中を走った。

 振り返ると、一人の少年が歯を食いしばりながら拳をこちらに突き出していた。

「大丈夫ですか?」「本当にごめんなさい」という彼女の言葉に対してろくに反応もできないまま、「いたいよお」と情けない言葉を繰り返し、なんとかゲストハウスまで送り届けてもらった。

 痛みが治まるまでロビーで寝転んでいると、一人の男が心配して声をかけてくれた。

 ダルビッシュという名のイラン人だった。

 ダルビッシュに事情を話すと、彼は共に憤ってくれ、親切に夕食も買ってきてくれた。

 ビリヤニを食べながら、「自分と同じ名前の奴が野球なんていうスポーツをやっているとは」と感動しているのが面白かった。

バラナシで朝食を

 翌朝、屋上で朝食を用意したから一緒に食べようとダルビッシュに誘われた。

 バナナとパンとゆで卵。

 インド料理のスパイスに食傷気味だった私にとってはうってつけのメニューだ。

「こういうのでいいんだよなあ」と慣れ親しんだ朝食に安心感を覚えながら、紅茶を一口飲んだ。

 その紅茶は、慣れ親しんだ味とは全く違った。

 例えるなら、ラム肉のような臭みを含んだ味がした。

「この紅茶って、ミネラルウォーター使ってるよね……?」

 私が恐る恐る聞くと、ダルビッシュは「わからない」と答える。

 この街で、「ちょっと汚い水」は存在しない。

「綺麗なミネラルウォーター」か「死体や糞尿が流れる川の水」の2択しかないのだ。

 0か100か。祈るしかなかった。

悲劇の朝食

 結果、私はその賭けに負けた。

 その日の夜から、激しい下痢と嘔吐、高熱に見舞われた。

 朦朧とする意識の中、なんとか日本に帰国した。

 何週間も点滴を打ち、トイレの外でまともに生活するまでには1か月かかった。

 インドに一度行くと、日本人は2つのパターンに分かれるらしい。

「インドの虜になり何度も足を運ぶ者」と「インドには二度と行くまいと心に決める者」。

 私は紛れもない後者である。

 正確には、「やっぱり後者だよな」と今改めて思っている。

 大して変わり映えのない毎日を過ごしていると、「またインドに行ったらどうなるんだろう」なんてグーグルストリートビューでガンジス川も眺めることも正直なくはない。

 だが今回、3部にわたってインド旅行記を書きながら、騙されたときの絶望感や誰も信じられない環境での強烈な不安を思い出した。

 今もこの文章を書いているだけで腹痛が蘇ってくる。

 うっかりまたインドに行きそうになったらこのコラムを読み返そうと思う。

 ありがとうインド。多分もう絶対に行かないからな。

(文/池田ビッグベイビー、編集/福アニー)

【Profile】
●池田ビッグベイビー
1991年生まれ、YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」のメンバー。185cmという巨体を武器に大学卒業後はネズミ駆除の仕事に就くも、YouTuberへ転身。「池田ショセフ」名義で音楽活動も行う。