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ヘルス

メンタルダウンした元エリート自衛官のわびさんに聞く──“本当の自分になるため”の人生戦略とは

SNSでの感想
今回お話を伺ったわびさんの自衛官時代(左) 写真提供/わびさん
目次
  • 順風満帆な日々──急に訪れた、パワハラ上司との出会い
  • 気がつきにくいメンタルダウンへの入り口と対処法

 Twitterで共感を得るメッセージを発信し、フォロワー数は驚異の14万人超! ときには10万以上の“いいね”を獲得する、元エリート幹部自衛官の「わび」さん。出世街道をひた走っていた中、上司のパワハラや深夜早朝の激務によりメンタルダウンに。しかし回復後、2度の転職を経て、現在は外資系航空関連会社で勤務。理想のライフスタイルを手に入れました(なんと年収は、自衛隊を退職後に勤めた市役所時代の2倍に!)。

 厚生労働省の調べ(※)によると、現代社会では、生涯において5人に1人が心の病気にかかるといわれています。特に最近は、新型コロナなどの影響による経済不況や働き方の変化の影響により、メンタル不調を訴える人が増えているようです。

 そこで今回、メンタルダウンから回復を遂げたわびさんに、自衛隊時代に見た“地獄”とこれまで身につけたメンタルコントロール術についてお伺いしました。前・後編の2回にわたり、お届けします。

※出典:厚生労働省サイト「みんなのメンタルヘルス」

◇   ◇   ◇

順風満帆な日々──急に訪れた、パワハラ上司との出会い

──まず、メンタルダウンした経緯について教えてください。

「陸上自衛隊の一般幹部候補生に合格して、陸上自衛隊幹部候補生学校に入校し、卒業後は十数人の部下を持つ小隊長になるなど、非常に恵まれた環境で過ごしていました。そして幹部上級課程をトップで修了し、歴代成績優秀者の中に名を連ねました。また、プライベートでも双子が生まれて、非常に順風満帆だったのですが、 その後の異動で、パワハラ上司とめぐり会うことになり、それからは環境が激変しました。

 自衛隊は実力組織なので、厳しい指導は当たり前だと思い、どんなに過酷でも耐え忍び頑張っていました。でも、私だけ指導が後回しにされたり、乗っている車や、子どもの名前など、さまざまなことに言いがかりをつけられるようになり、上司に対して“おかしいな”と思い始めたころには、冷静な判断ができず(上司に対する気持ちよりも)自責の念にとらわれ、次第にそこから抜け出せなくなっていました。

 過度な指導や修正作業で深夜まで仕事をし、翌日には上司よりも早く出勤する日々で、身体を休める時間や子どもと会う時間もなくなり、眠ることさえままならなくなってきました。

 そして、心身ともに限界に達したころだったと思います。

 ついに心のバランスがとれなくなり、叫びながら職場のデスクの下に潜って、そのまま病院に運ばれたそうです。というのも当日、駐屯地の食堂で昼食をとったことまでは覚えているのですが、その後の記憶がほとんどありません。後日、心理幹部(自衛隊員の心のケアを行う自衛官)に、この状況を教えてもらいました」

──現状について周囲の誰かに相談したことはありますか?

「ひとりの先輩が気遣って、“一緒に指導を受けようか”と声をかけてくれたり、休みに何度か遊びに誘ってくれたりしましたが、上司の私への当たりがきつかったこともあり、それ以外の人から助けてもらったことはなかったですね。だから、こちらからも相談することもありませんでした。

 また、パワハラやメンタル不調の相談窓口も活用しませんでした。当時の私は、言葉は悪いですが、そんなところに相談するのは、“軟弱者がすることだ”と思っていたので、そういう考えにも及びませんでした。今なら、自分の身を自分で守ることが大事だと実感しているので、同じような状況になれば活用すると思います」

 その後、病院に行くと、医師から『うつ状態』と『不安神経症』と診断され、3か月以上の休養が必要と言われたわびさん。休職当初の自宅療養ではなかなか改善せず、「それまで生活していたところから離れた方がいい」という医者のすすめもあり、ひとりで実家に帰ることにしたという。

──実家では、どんな生活を送っていたのでしょうか?

「それまでは毎年、盆と正月には家族で楽しく帰省していたのですが、このときばかりは心身ともにボロボロで、みじめな敗走のような気分でした。両親はふたりとも強い人だったので、仕事も育児も投げ捨てて、そんな両親の前に帰ってきた自分に劣等感を感じ、生きているのが嫌になったんです。

 それで実家に着くなり、ジャージに着替え“走ってくる”とだけ母親に告げ、死に場所を探しに出かけました。でも結局いろんな場所を走っていると、昔の楽しい思い出がよみがえってきて、死ねる場所がなかったんです。それに7時間近く走っていたので、死ぬ気力もなくなり、その日は実家に戻りました。

 すると、一度そこまで思いつめたことでニュートラルに考えられるようになり、気が楽になって、もう少し生きてみようという気持ちが湧いてきたんです。それまで、ごはんもほとんど食べられず、風呂にも入れないような状態だったのが、少しずつ日常生活ができるようになってきて、1か月ほどで妻や子どものいる自宅に戻ることができました。

 家族の待つ、自宅に戻ったわびさん。そこからさらに、あることが回復のきっかけになったと話す。

劇的に回復できたのは、『摂津国八十八ケ所巡礼』の御朱印巡りを始めてからです。自宅の近くにある寺院からスタートして、自転車や電車を使って足をのばし、徐々に長時間の外出もできる体力が戻ってきました。

 小さなことですけど、御朱印をもらうという達成感が得られるのもよかったです。ずっと自宅にいても、家事や子どもの世話などもできず息苦しかったので、この御朱印巡りはよい気分転換になりました」

──その後、順調に復職を果たせたのでしょうか?

「いえ、難しかったですね。自衛隊に戻るも、再び症状が出て、その後も2度復職に失敗しました。復帰した最初のころは、メンタルダウンのきっかけになった上司の隣の部署に配属になり、通勤訓練を経て、徐々に勤務時間を延ばしていきました。ですが、“隣にあの上司がいる”と考えただけで怖くなってきて、だんだんと足取りが重くなり、途中で行けなくなりました。

 復職における2度目の失敗は、陸上自衛隊の学校へ異動になったときです。私、その学校の卒業生で、冒頭で話したように、歴代成績優秀者として名前が載っていたんですね。その名前を見た瞬間、もうダメでした。 あのときの輝かしい自分と、メンタルダウンと出勤を繰り返している現在の自分とのギャップでまた調子が悪くなって、2か月ほど休みました」

──どうやって復活されたのですか?

ひとりの上司との出会いです。その上司はもともと情報本部の分析官として活躍されていて、当時は戦略情報の教官でした。高度な知識を持つ、戦略情報のスペシャリストでしたが、出世などは気にしない。かといって、おかしいと思ったことは上司であっても忖度(そんたく)することなく、意見する“自分”を持った人でした。

 自分を抑えて優等生を目指してきた私には、この上司のような生き方には、ものすごい衝撃を受けました。これしかないと思ってやってきた私の生き方は、いろいろある中の、ひとつだったということに、このときようやく気づいたんです

回復のきっかけとなった『摂津国八十八ケ所巡礼』の御朱印帳 写真提供/わびさん
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