深夜のコンビニにて
一番美味しいラーメンを僕は知っている。
そう言うと皆様方は、どこの店ですか、と聞くのだろう。どんな麺なんですか、何系ですか、と。しかし、そういうことではない。
さらに言えば、一番美味しいパスタも僕は知っている。一番美味しいおにぎりだって然り。つまり、大事なのは味でも場所でも、ましてや丼の形でもなく、時間である。何を食べるかではなく、いつ食べるか、ということだ。
卵黄をのせれば大体の料理が美味しくなるように「一番美味しい時間」という魔法の粉をかければあらゆる食べ物は美味しくなる。無論「一番美味しい時間」とは「深夜」である。
そういうわけで、僕はよく深夜にコンビニへ行く。7時に行くと必ず当たるパチンコ屋があれば確実に大行列ができるのは想像に難くない。深夜に食べ物を食べれば必ず美味しいものが食べられるのだから、深夜にコンビニに行くという行為は至極当然のことだ。
しかも深夜のコンビニは大行列どころか、むしろ空いている。なんという僥倖。
その日も僕は一番美味しいパスタと一番美味しいコーラを求めて午前1時に家を飛び出した。仕事である動画編集が思うように進まなくなっていた頃だった。静かすぎる空気を纏って、見慣れた仲なのにそっけなく澄ました顔をする深夜の道に、場違いな僕の足音が跳ねている。そんな中でも深夜のコンビニの明るすぎる照明は僕の足音に共鳴して温かく迎え入れてくれた。
店内にうっすらと聞こえるBGMを「いらっしゃいませ」の代わりにして無言で品出しをしていたのは、このコンビニで深夜シフトの定番店員「前髪くん」。僕と変わらないほど小柄で、僕と変わらないほど猫背な彼は、眼鏡をかけているが、世の中のモノは見たくないという主張なのか、長い前髪で視界を隠している。モノをよく見えるようにするための眼鏡なのに、その前髪では台無しではないか。しかし最近の眼鏡はよほど優秀なのか、前髪くんはその狭そうな視界でも商品を間違うことなく商品棚に納めていく。
もう1人レジで威圧感を放っているのが、こちらも週8日でシフトに入っているのでは、と疑うほど毎回深夜に出会う店員「ブーさん」。身長は180cmほどで恰幅が良く、格闘ゲームのキャラクターだったら迷わずに選ぶであろうガタイの良さで、最初に抱いた印象はまさに「熊」。ただ顔つきは険しく猛々しい雰囲気もあり、国民的なあのハチミツ大好きな黄色い熊ほど可愛くはないので「ブーさん」。この日は前髪くんとブーさんの2人の日のようだった。
深夜の幻想
僕は行列必至であるはずのパスタとコーラを難なく手に入れて、健康に気を遣ってるフリをするために軽いサラダを申し訳程度に手にとり、ブーさんの立つレジに向かった。
「780円になります。こちら温めますか?」ぶっきらぼうだが、深夜に似つかわしいトーンでいつも通りブーさんは僕に尋ねる。僕が温めをお願いすると、ブーさんは「お待ちのお客様、どうぞ」と温めている間、後ろに並んでいた派手な服を着た女性客に対応しだした。
僕は目のやり場に困り、回る電子レンジを凝視する。低い音のわりに明るいオレンジ色を放ちながら電子レンジはゆっくりと時を刻んでいる。
「深夜のコンビニに女が1人で寂しそう、そう思ったでしょ?」派手な服の女は僕に尋ねる。
「いいえ」僕は下を向いて頭を振る。
「嘘。だって目を逸らしたもの。街で発狂する可哀想なおじさんに対する目と同じだったわ」
「それはあなたが派手な服を着ているから」
「派手な服の女は嫌い?」
女はヒールを履いていて背の低い僕と同じ目線のはずなのに、上目遣いで尋ねてくる。目を逸らしていた僕は、今度は毅然と前を向いて答える。
「嫌いです。他人の肌を感じると僕は吐きそうになる。自己顕示を押し付けて、こちらの気持ちを考えてないんだ。その上、好奇な目で見られることを何故か嫌がる節がある。そのエゴと矛盾に腹が立つんだ」
「じゃあ海へ行こう」
唐突すぎる提案に僕は瞬きすることしかできない。瞬きをしながらもいつの間にか僕は女と目を合わせて会話していることに気づく。そして女は続ける。
「海は見られることを望んでいるのかしら? そんなことを気にして海を見にいく人がいる? それにあんなに大きくて綺麗な海なのに、たまにゾッとするの。水が苦手とかそういうわけではないのに、時々海が怖く見えるの。あなたが今、私に抱いている感情と同じような気がする。だから一緒に海へ行こう」
「でもパスタが……」
「パスタ?」
「パスタが冷めてしまう」
「一緒に行きながら食べましょう」
ブーさんは女がそう言うのを待っていたかのように、僕と女の前にパスタを差し出す。威圧的だったブーさんは大型犬のように愛らしく微笑んでいる。
「仕事の動画編集なら僕がやっておきますよ、ほら」品出しをしていた前髪くんが前髪をかき分けて言う。深夜には似つかわしくない温かい潮風がそのコンビニを包み出した。
ピーピーッ!
潮風を割くように無機質な音が僕を目覚めさせた。パスタが温まり終わった音だった。電子レンジを凝視して微動だにしない僕を怪訝そうに眺めて女はコーヒーを片手に退店しており、ブーさんは無愛想にパスタをレジ袋に包んで業務的で録音したかのような「お待たせしました」という言葉とともに僕に渡した。
なんてことはない、深夜の妄想だった。僕は家に帰り、溜まっている仕事の量を確認して絶望して、全てを忘れようと買ってきたパスタを食べようとした。するとレジ袋には何故かフォークが2つ入っていた。波音をかすかに感じて、僕は終わりの見えない仕事に取り掛かりながら、一番美味しいパスタを食べ出した。
ミッドナイト・イン・パリ
『ミッドナイト・イン・パリ』はその題名の通り、パリを舞台にしたラブコメディ映画だ。1920年代の作品を愛する現代に住む主人公が、深夜になるといつの間にかタイムスリップをしていて、自分の愛する時代の芸術家たちと交流するという話だ。昼間や夕方のパリの風景はそれだけでロマンティックだが、どこか紋切り型なお洒落さに落ち着いている。しかし、深夜のパリは幻想的でファンタジーに満ちた素敵な空間になっているのだ。
幻想的でありながら、むしろ現実にも目を向けなければならない。ウディ・アレン的なユーモアと皮肉に満ちた快作だ。僕がこの映画を見るのに「一番楽しめる時間」、無論それは「深夜」である。
(文/矢崎、編集/福アニー)
【Profile】
●矢崎
LA生まれ東京育ち。早稲田大学文学部を中退後、SUSURUと共にラーメンYouTubeチャンネル「SUSURU TV.」を立ちあげる。その編集と運営を担当し、現在は株式会社SUSURU LAB.の代表取締役。カルチャー系YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の矢崎としても活動中。
【今回紹介した映画】
●『ミッドナイト・イン・パリ』
2011年。ウディ・アレン脚本、監督の作品。有数の名所を舞台にウディ・アレンが初めて全編パリで撮り上げ、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞で脚本賞をW受賞した、おとぎ話の世界へトリップさせる至福のロマンティック・コメディ。