アラフィフで沖縄へ移住、農業を生業に小説も執筆
「沖縄で農業を始めようと伝えると、妻は“賛成”と二つ返事。人生最大の賛成を示してくれました。高校生だった下の息子と妻が沖縄に来たのは僕の移住から1年後で、最初の1年間は単身で(本島北部の)名護市に住み、農大で学んだんです」
'09年に暮らしと仕事という、第2の人生における2つの柱をガラリと変えた中川さん。沖縄県立農業大学校・短期養成科へ入学し、野菜作りや農業経営を基礎から学びました。「しっかり計画し、道筋どおりに進んできたんですね」と伝えると、「整理しながら話しているからそう聞こえるだけ。実際はいろんなことにぶつかってきました」とひと言。この答えから、苦労を乗り越えてきたことがわかります。
1年後に農大を卒業し、農地として魅力を感じた糸満市で新しい生活をスタートさせました。
「インゲン・トマト・ニンジンをハウスで栽培しています。今はインゲンが育っていて、12月に収穫。早朝にハウスに行き、暑くなる11時ごろには家に帰ってシャワーを浴び、15時過ぎにもう1回行って暗くなるまで作業、という毎日です」
このようなスケジュールで農業に勤(いそ)しむ中川さんにとって、7〜8月の台風シーズンの作業はお休み。小説を書く執筆活動の時間にあててきたとのこと。
「映像を前提にした脚本を書くことはありましたが、小説を書くようになったのは沖縄で農業を始めてから。趣味のようなものですが、賞が取れたらいいなという気持ちはありました」
作品を書きあげると、'14年からは「おきなわ文学賞」に応募し、佳作や二等賞に選出されました。そして'18年にはオリジナル作品『唐船ドーイ』で「第44回 新沖縄文学賞」、'21年には『笑顔の理由』がJAグループ主催による「第69回地上文学賞」を受賞。新作を発表するごとに高い評価を得ています。
「50歳を過ぎているし映画監督をやっていた人間だから、賞を取って当たり前と思われるかもしれないね」
そう笑顔で語る中川さんですが、映画制作で培ってきた経験と豊かな才能で、沖縄在住の小説家として実績を積んできました。発表作品中2作、『唐船ドーイ』と『一九の春』は書籍化もされています(ともに沖縄タイムス社刊)。どちらもタイトルが沖縄民謡風なので、テンポよく展開する娯楽作品では!? と勝手にイメージ。読んで確認したいと思っています。