“ぶさにゃん先輩。”にひと目ぼれ、カメラを学び会社を辞めて写真家の道へ

 沖さんの撮るネコたちには、人間が一生懸命に何かをやっている姿を思わず投影してしまう。必死になっている姿は、おかしくもあり、切なくもあり、そこがたまらなく愛おしい。沖さんでなければ撮れないネコの世界観だ。そんな沖さんが初めて写真集を出版したのは、2015年の『ぶさにゃん』(新潮社刊)。'13年の大みそかに運命の出会いがあった。“ぶさにゃん先輩。”に、ひと目ぼれしたのである。

「そのころ勤めていた婦人服屋さんの近くにある公園で休憩していていたときです。目の前を、グレーのアメリカンショートヘア風の渦巻き柄のネコが通っていきました。顔がくしゃっとつぶれていて、エキゾチックショートヘアのようなネコでした。

 ──ぶさ可愛い! ひと目でその子が気に入ってしまったんです。その子を“ぶさにゃん先輩。”と呼んで、ぜひ撮りたくなって、カメラを抱えて公園に通いつめました。ネコは昔から好きだったのですが、写真撮影の知識はまったくありません。なぜ、そのときカメラを持っていたかというと、当時勤めていた婦人服屋で商品の撮影をしなくてはならなかったから。店のブログで写真をアップするため、物撮りをしていたんです。初めは自己流で撮っていたのですが、たまたま社長の趣味が写真だったこともあって、少しずつ技術を教えてもらうようになりました。

 もともとカメラは苦手。写真を撮られるのが嫌いだったので、写すのもイヤだと思って敬遠していたほどなのですが、仕事で頻繁にカメラを使うようになったら、少しずつうまく写せるようになり、ついには、趣味としていろいろ撮るようにまでなったんです。そんな中で、被写体としてネコを撮りたい気持ちが強くなっていきました

こちらが沖さんの人生を変えた、“ぶさにゃん先輩”。な、なんて愛らしい表情・・・たまらん! 写真/沖昌之

 社長に教えてもらった基礎をベースに、その後、写真家・テラウチマサトさんの写真教室に月1回、通うようになった沖さん。

「“春の訪れ”とか、毎回課題を与えられるのですが、その課題に無理やり合わせて、ネコの写真ばかり撮っていました。どんなテーマでもネコ写真を持ってくるので、呆(あき)れられましたけど(笑)。その教室は、テクニカルなレッスンは少なくて、“どう感じて撮るかということが大切だ”と教えられました。“やみくもに撮らず、1回ずつ考えてシャッターを押しなさい”と」

 仕事をしていた初めのころは、週に一度の休みに、朝から日没までずっと撮影。その日に撮った写真を、個人で始めたInstagramにアップしていった。じわじわとフォロワーが増えていき、最終的には長期にわたり、猫ブログランキング1位に君臨するように。

ある日、魔がさして仕事を辞めてしまったんです。Facebookでお客様とつながっていて、僕のことを弟や息子のように思っていてくださる方がいらしたんですが、Facebookを更新しなかったら“あの子、何やってるんだろう”と心配されそうな気がして、とりあえず“猫写真家”の名刺を作り、その日にブログを立ち上げて、ネコ写真をアップしてみました。そうしたら、わりとすぐ人気ブログの仲間入りができたので、お店のお客様だった方たちにも、“ブログをクリックしてください”とお願いして、どんどん写真を上げていきました。そうしたら、猫ブログランキングで1位が取れたんです。それを見た新潮社の編集者さんから、“写真集を作りたい”と連絡をいただいたのがきっかけでした」

「ネコノミクス」と呼ばれたネコブームが沸き起こったことがあった。大御所の動物写真家・岩合光昭さんを頂点に、アマチュアのネコ写真家たちも、こぞって個性的なネコを撮ってSNSで発信する時代。ネコの写真集は、軒並みベストセラーになった。中でも、猫写真家にとっての目玉商品は、ネコカレンダー。沖さんも仲間に触発されて、カレンダー作りの営業を始めることにした。それがベストセラー写真集の誕生への足がかりとなる。

「ネコ写真家の仲間たちが、来年の“ネコカレンダー”をどうやって作るか、楽しそうに話しているのを聞いて、その夜、カレンダーを作っている出版社のお問い合わせフォームに片っ端から、“ネコの写真を撮っています。カレンダーを作りたいのですが”と営業メールを送りました。返事なんかこないだろうな、と思っていたら、辰巳出版の雑誌『猫びより』から連絡が来たんです。編集会議で次の猫連載をどうしようか、という絶妙のタイミングだったそうです。

 ラッキーなことに、すぐに連載が決まり、コンセプトとタイトルを考えていたところ、編集さんから、“沖さんの写真に出てくるネコを見ると、なんか、みんな必死ですね。『必死すぎるネコ』で連載しましょうか。うまくいけば将来、写真集にできるかも”と言われ、トントン拍子に話が進んでいきました

『必死すぎるネコ』はインパクトが絶大だった。糸井重里さんの推薦文も功を奏して、大ヒットになる。その中で活躍するいちばんのベテランモデルは、“さとちゃん”。沖さんの写真集には頻繁に登場しており、ファンも多い。何より、『必死すぎるネコ』の表紙ネコが、“さとちゃん”なのだ。

沖さんが撮影した“さとちゃん”。そ〜っと何かを覗いているみたい…… 写真/沖昌之