“さとちゃん”登場! 『必死すぎるネコ』の写真は「もう絶対に撮れない」
取材当日に話を戻そう。公園の隣にある駐車場を、ネコを訪ねて歩いていると、なんと、その“さとちゃん”が不意に現れた。地面に背中をこすりつけて転がりながら、ゴロゴロと喉(のど)を鳴らして沖さんに目線を向けている。背の高い沖さんが道に腹ばいになって、“さとちゃん”と同じ高さでカメラを向けると、次々とポーズをとり始めた。
「見た目はもちろん可愛いのオンパレードなんですけど、実は、ネコって内面もめちゃくちゃキュートなんです。そこに射抜かれちゃいますよね。外見もだけど、内面の可愛さもたまんないなぁと。
自分で飼ってしまうと、溺愛(できあい)して、仕事もやめて引きこもりになってしまいそう。ネコが布団にいたら、ずっと一緒に寝ていると思う。そんなことを想像すると、ネコファーストの人生で終わりそうで怖いです(笑)」
“さとちゃん”がほかのネコさんたちを紹介してくれて、写真のバラエティも多彩になってきた。今なら、“このあたりにいる”とわかっていて場所を探さずにすむが、以前はどこにネコがいるかわからないので、公園周辺をくまなく歩いていた沖さん。駐車場の隅や袋小路の奥に潜んでいることなどを学んでいき、テリトリーを広げていった。
「出会ったらラッキーと思いながら徘徊(はいかい)していますが、ネコを見つけたからといって、面白いポーズをしてくれるわけでもない。宝くじを買って当たりを待っているような気持ちです。『必死すぎるネコ』の写真は、もう1回撮れと言われても絶対に撮れないです。このポーズをしているときに、たまたまカメラを持ってそこにいた、というありえない奇跡が起こっただけなんですよね。でも、写真が撮れなかったとしても、ネコたちに出会えて元気でいることがわかるだけでも、幸せな気持ちになれます」
初恋のネコ、“ぶさにゃん先輩。”の導きにより、ネコ写真家としてデビュー。可愛い表情・しぐさに変顔、脱力ポーズに癒される。ネコ好きなのに、実家では飼えなかったという沖さんだが、母親が子どものころ飼っていたネコの話を聞かされて育ち、身近にネコを感じていた。伸びて転がってジャンプして、あくびに昼寝、ときどきケンカ。下町でのんびり暮らす外ネコたちの自由気ままな日常を、今日も撮影し続ける沖さん。
「“ぶさにゃん先輩。”のおかげで猫写真家としての一歩を踏み出したのですが、'15年ごろ、見かけなくなってしまったんです。心配のあまり、テレビ番組の『志村どうぶつ園』でも探してもらったところ、老夫婦にもらわれて家ネコになったとのこと。安心して、その後はいろいろなネコを探して歩きました。
実際には飼ったことがないから、自分の妄想の中で、ネコの可愛さを膨らませていました。ネコ写真を撮り始めるまで、僕の中ではネコって喜怒哀楽のない生き物だったんです。ところが、ファインダーを通してずっと見ていると、感情が豊か。態度にも顔にもすぐ出るし、毛の動きとかしっぽの揺れだけでも、うれしいとかイライラしているとか、微妙な気持ちが表れる。孤高に生きていると思いきや、ネコにはネコのコミュニティがあって、上下関係があったり、仲よしだったり敵対していたり、人間と同じ複雑な毎日を過ごしているんだ、ということをしみじみ感じました。それぞれのネコには人みたいに心がある、そんな当たり前のことを理解していなかった。それから、撮影するときはネコの心を撮れたらいいな、と努力するようになったんです」