絶望感を味わった日々を乗り越え、大人気に。ここまでの歩みは「運命だった」

 プロになったと自覚できたのは、『必死すぎるネコ』が売れてから。そこから次々と仕事が舞い込み、沖さんは猫写真家としての地位をさらに確立していった。

「会社を辞めて、'15年の12月に『ぶさにゃん』を出してから、『必死すぎるネコ』まで2年半かかりました。そのあいだは毎日、毎日、ネコを撮るだけ。将来どうなるかもわからない。ネコを撮っていたグループで一緒だった人たちが、みんなヒット作を出していて、“自分もそういう写真家のひとりになれるんだろうな”とたかをくくっていたのですが、『ぶさにゃん』を出しても、すぐには重版にならなかった。

 “なんで自分だけダメなんだろう、理解されないんだろう”と、挫折感を味わう毎日。“もうダメだな”と絶望的になりました。それくらい、その写真集に賭けていたんです。編集者は、頑張れと励ましてくれたのですが、お金にはまったくつながらなかった。生活費が尽きたら、前の会社に頭を下げて戻るか……とか、焦るばかりの日々を送っていました。お金がないから気持ちもすさんでいきました。それでも、“ネコを撮るしかない”と、ネコを探して歩き続けました

下積み時代を振り返る沖さん。諦めなかったからこそ、今があります 撮影/齋藤周造

 そんな不遇な時代も乗り越え、今では写真集の出版は17冊にもなる。雑誌の連載を何本もこなし、'23年のJTBカレンダー『ゆるにゃん』も大人気だ。

今は、“続けることってやっぱり大切なんだな”と思います。洋服屋で働き始めたところから、今までたどってきた道を振り返ると、“運命だった”と感慨深いです。その会社で働いていて、あの日、休憩時間に公園に行かなければ、ネコに会えなかったわけです。たまたま出会えたネコを、技術があるわけでもないのに、ただただ待って撮り続けた。人の心を動かすポーズの写真が撮れたという、万に一度の奇跡。時間をかけてその奇跡を待つことができる、それが自分のいちばんの才能かもしれないですね。

 これからも身体が動く限り、ずっとネコを撮り続けていたいと思います。最近では、台湾で写真展を開く機会もあって、海外でも話題になってくれているようでありがたいですね。これからは、日本の外に出て世界のネコも撮っていきたいです。日本も含め世界のネコと出会いたい、と夢はふくらんでいます

(取材・文/Miki D'Angelo Yamashita)


【PROFILE】
沖昌之(おき・まさゆき) ◎猫写真家。1978年、神戸生まれ。アパレル会社を経て、偶然出会った猫“ぶさにゃん先輩。”の導きにより'15年、独立。“必死すぎるネコ”、“ネコザイル”、“無重力猫”など、どの猫写真家も追随できない激写系ネコシャを発表。2022年12月現在までに17冊の写真集を刊行している。2023年版JTBのカレンダー『ゆるにゃん』も好評。

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