NON STYLE・石田さん、ナイツ・塙さんは「革新性」と「ウケ」を両立させている

──確かに……。いつも無意識に笑っていましたが、メカニズムを教えてもらえると「なぜ自分が笑っているのか」を意識化できた気がします。

「人間っておかしいですよね。ですので、笑いが起きるための重要な要素は“その人の常識”です。同じネタでも年代・地域によってウケが違うのは、常識が違うからだといえますね。

 もっと細分化すると、同い年で同じ地域の人でも、育った環境で常識の枠組みは違います。だから“ツボ”は人それぞれで違う、という理屈が成立しますね」

──おもしろいです……。芸人さんの言動が行動を“理解できること”で快感を得ているわけですね。

「そうですね。ただし漫才でいうと“ボケ”というのは、おかしなことを言ったり、変な動きをしたりすることです。つまり"変"なんです。私たちにとっては、違和感そのものであり、これは決して、気持ちがいい感情とはいえません。

 そこで“ツッコミ”という存在が機能するわけですね。ツッコミは私たちに対して“あなたが変だと思ったそれは正しい感情ですよ”と正当化してくれるんです。そこで私たちは違和感から解放され“よかった。間違っていなかったんだ”と安心でき、心から笑えます。

 ボケによって緊張が生まれ、ツッコミによって緩和される。一般的には、これが漫才で笑いが起こるメカニズムです

──なるほど。理屈でわかるとすごくおもしろい……。ちなみに鳶野先生は「M-1グランプリ」は見られるんですか?

「もちろん、“おかしいなぁ。何言うてんねやろ”と笑いながら見ていますよ。M-1に出場された芸人さんだと、NON STYLEの石田さんや、ナイツの塙さんが好きですね。ボケの作り方が、一段階飛びぬけているなぁと思います」

──どういった部分にすごみを感じられるんでしょう。

「一般的にボケは、掛け合いのなかで違和感のある言葉・動きで常識をずらす形がスタンダードです。その点、石田さんと塙さんは漫才という枠組み自体を逆手にとって、ズレを生み出していらっしゃる部分に感動しますね。

 例えばNON STYLEの漫才には、漫才の常套句である“もうええわ”を繰り返すネタがあります。またナイツの漫才では締めで“~ということで、これから我々の漫才をさっそく見ていただきたいんですが”というお決まりのボケがありますよね。

 こうした漫才の構造自体をズラす、というボケは革新的だと思います。一般的にこうした尖(とが)ったことは、見る側の常識を超えすぎてウケないパターンが多いのですが、おふたりは毎回爆笑を取っています。この“革新性”と“ウケ”を両立させている点が好きですね」

桂枝雀さんの落語から感じる「しみじみとした"共感の笑い"」

──先ほどの「緊張と緩和」というお話について、個人的にはハーバート・スペンサーの『ずれ下がりの理論(※1)』にすごく近しいように感じます。もう逝去されたんですが、関西大学の木村洋二先生(※2)の論文でよく登場していました。

「木村先生は、私もよくお世話になりましたね。ぶっ飛んだ研究をなさっていて、尊敬していました。スペンサーの『ずれ下がりの理論』では〈笑いは意識が大きなところから小さなものへ不意に移されたときに生じる〉とされています。これは緊張と緩和に近いですね

 確かに、緊張が解放されたときに起こる笑いは、わかりやすいうえにインパクトがあるため、メインストリーム(主流)です。しかし“笑い”が生じるポイントは決してそれだけではない。もっと広い可能性があると考えています

※1:1860年に哲学者のハーバート・スペンサーが考えた笑いに関する理論。その後、フロイトが「機知-その無意識との関係」という論文で発展させた

※2:元関西大学社会学部教授。「笑い」を主な研究テーマとし、「aH(アッハ)」を単位として笑いを定量的に測定する『笑い測定機』の発案などをしていた

──なるほど。他にはどういった笑いがあるのでしょうか。

「例えば桂枝雀(かつら・しじゃく)さんの落語の一部には、明確な“ツッコミ”という落としどころがあるわけでなく、必ずしも爆笑できないものがあります。テレビ向きではないと思いますが、ずっと“何を言うてんねやろ”としみじみ笑えるものです。

 いい意味で"モヤモヤした笑い"という感じなんですね。でも人生ってそういうもので、全部が全部すっきり解決されるわけではない。常に何かを抱えながら“しゃあないなぁ”って諦めて納得することは、誰にでもあると思います

 私たちはその感覚を知っているから、桂枝雀さんの噺(はなし)に共感する。“共感できる”という安心感によって、ほんわかと笑えるんですね。これは緊張と緩和ではありませんが、笑いが生まれるポイントのひとつです」

※桂枝雀:1939年生まれの落語家。派手で型破りなアクションと軽妙な語りで多くのファンを魅了した

──あ、確かに! 明確なボケとツッコミがなくても「共感」による笑いはありますよね。「ものまね」とか「あるあるネタ」とかも同じかもしれない。

「そうですね。あえてツッコまないことで、私たちに想像の余地を残しているんですね。だから“わかるわかる”と共感ができる。その結果、安心感が生まれて笑えます」

──なるほど。似たポイントでいうと、あえてツッコミをなくして「見る側にツッコませる」ということもありますよね。いわゆる「シュール」といいますか。

「はい。爆笑が起きにくいのでテレビ向きではないかもですけど(笑)。笑いの可能性というのは計り知れませんね」