麻雀からは「人生観を学びました」、3留を経て卒業し、本格的に俳優業へ
──『劇団そとばこまち』はとても勢いがあったのですね! 演劇を続けるには、お金もかかりそうですが……。
「ひとり暮らしもしていましたし、さすがに収入なしでは厳しかったので、演劇の合間に塾講師や家庭教師のアルバイトをしていましたね」
──演劇やアルバイト、そして勉強や趣味活動なども含めて、大学生活は充実していましたか?
「楽しかったですが、自由にしていると人間、どんどん堕落するっていうことを身をもって実感しました(笑)。学生時代は、ほとんど芝居と麻雀しかしなかった。でも、麻雀から人生観を学びましたよ。流れに逆らっちゃダメだとか、逆に、流れに乗っているときは勝負に出るべきとかね。『麻雀放浪記』を書かれた阿佐田哲也さんの名言に、“麻雀を点棒のやりとりだとしか思えない人は永遠に弱者である。麻雀は運のやりとりなんだ”っていうのがあって、共感しています。当時はヨレヨレになりながら朝までやっていたんですけれど、考えてみれば、ムダじゃあなかったのかもしれません」
高校も大学も、自由放任主義の学校だったのがありがたかったです。その分、自分のことは自分で決めなくてはならないから、大変な面もありますけれど。でも、学生のうちに自らの意思でやりたいことを見つけるっていうのも大事なこと。そういう環境で過ごしたから今、世の中からちょっとドロップアウトして、こういう仕事をしているみたいなところはあると思います」
──自由に過ごしすぎて、両親から叱られたりしませんでしたか?
「うちは父方の親戚が父以外、みんな医者だったんです。祖母からも小さいころから“医者になれ”と言われて育った。だから、もし浪人していたら、医学部を目指していたと思います。全く別の人生を歩いていたでしょうね。
ただ、親も芝居好きだったから、高校時代から芝居に没頭していることについては、とやかく言われなかったんです。でも、大学で留年してからうるさくなりました(笑)。周りから、“息子さん、今年で卒業だろうけど、どこに就職したんですか”って聞かれていたみたいで。留年1年目はまだよかったんですが、2年、3年ともなると、親にもメンツがありますからね。自分自身はあんまり気にしないほうなので、深刻に考えず、“なんとかなるだろう”って思っていました」
──大学卒業後、就職はしたのですか?
「3年も留年しましたから、そもそも就職先を見つけるのが難しかったんですよ(笑)。それに、7回生のときにNHKの朝ドラ『ロマンス』のオーディションに挑戦して、大役をいただけることになったんです。それで卒業と同時に、役者として本格的に活動を始めました」
京大に入学しつつも、勉強よりも演劇にのめり込んでいったという辰巳さん。大学卒業後には、俳優業をスタートさせます。インタビュー第2弾では、朝ドラ『ロマンス』での全国区デビュー、クイズ番組への出演などについて詳しくお聞きします!
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
辰巳琢郎(たつみ・たくろう) ◎1958年、大阪市出身。大阪教育大学附属高校2年生のとき、つかこうへいの舞台に感銘を受け芝居を始める。京都大学文学部在学中は、関西では人気・実力ともにNo.1の『劇団そとばこまち』を主宰し、役者としてだけでなく、プロデューサー、演出家として'80年代前半の学生演劇ブームの立役者となる。卒業と同時にNHK連続テレビ小説『ロマンス』で全国区デビュー。以来、知性・品格・遊び心と三拍子そろった俳優として、テレビ、映画、舞台、バラエティと多岐にわたって活躍している。'23年3月には舞台『鋼の錬金術師』に出演予定。
◎テレビ番組『辰巳琢郎の葡萄酒浪漫』BSテレ東にて毎週日曜23:00〜23:30
◎テレビ番組『辰巳琢郎の家物語 リモデル★きらり』BS朝日にて毎週土曜12:00〜12:30
◎舞台『鋼の錬金術師』
〈大阪〉2023.3/8〜3/12@新歌舞伎座、〈東京〉2023.3/17〜3/26@日本青年館ホール
辰巳琢郎はキング・ブラッドレイ役にて出演! 詳細は公式HPへ→https://stage-hagaren.jp/
☆辰巳琢郎公式HP→http://www.takusoffice.jp/
☆辰巳琢郎公式Facebook→https://www.facebook.com/tatsumitakuro.official