つらさもやりがいも楽しさも、すべて味わったアシスタント時代

──実際に師匠のもとで働いてみて、どうでしたか?

「新卒で働き始めた美容室では、当時アシスタントは僕だけだったので、3人の先輩スタイリストのお客さんのシャンプーやカラーリングなど、すべてを1人で担当していました。それは想像以上にきつかったですね。

 それに、朝が弱く寝坊することも多々あって、後輩である僕が先に準備をしなきゃならないのですが、先輩が出勤しても店は開いていないし、タオルも出ていないなど、周りによく迷惑をかけていました。

 そんなこともあって、お客さんの前で先輩に怒鳴られることもよくありました。それで店に行くのが嫌になって、眠りにつくのが遅くなり、また朝起きれない……という悪循環にハマってしまって。当時は、仕事が嫌で嫌でしょうがなかったです。

 それでもお師匠さんが、自分が怒られたその日、必ず飲みに誘ってくれて。怒られた直後なので、最初はどういう顔で接していいかわからなかったんですが、何度も連れ出してもらううちに、少しずつ気持ちの切り替え方などを身につけられるようになったと思います」

──途中で仕事を辞めずに、続けることができたのは、師匠の存在が大きいですか?

「お師匠さんが期待してくれていたからじゃないですかね。当時はホストのお客さんが多かったので、夜中に宣材写真を撮るのに、駆り出されることもよくありました。美容室の仕事が終わって、夜中の2時にスタジオに入り、アシスタントとしてついていくと、お師匠さんが“手が回らねえからおまえもやってくれ”と言って、ぶっつけ本番でスタイリストの仕事を任されることが増えていきました。

 つらかったですけど、そんなチャンスをもらえるようになって、すごくやりがいがありました。それに、お師匠さんも“こいつならやれるだろ”と任せてくれたと思うので、それに応えたいという気持ちも芽生えてきたんです

──その後、美容室『DIECE SHIBUYA』を設立されますが、独立されたのはなぜですか?

「本当は、お師匠さんが店長を務める新たな会社に、一緒に転職する予定だったんです。ですが、当時入社2年目で、すでにスタイリストになっていたので、“今後この道で本気で勝負するなら、お師匠さんから自立すべきだ”と思い直し、初めて師匠から離れることを決断しました。

 その考えをお師匠さんや当時の会社の代表に話をして、結果的に師匠だけがお店を辞めて、オレは残ることになりました。でも、自分で決めたこととはいえ、お師匠さんがいなくなって目標がなくなってしまい、次第に自分の売り上げも頭打ちになってきて……“このままではダメだ”と思い、新たなチャレンジのために、独立を決めました

──当時から、カットは男性限定だったのでしょうか?

「そうですね。最初は女性のヘアカットもやっていたんですけど、当時SNSにメンズのヘアスタイルばかり載せてたんですよ。2018年ごろで、まだ美容師があまりSNSを使っていなかったこともあり、SNSを見た男性のお客さんが、どんどん来店するようになったんです。

 男性のお客さんと女性のお客さんとでは、滞在時間が違うので、たくさんのお客さんをカットするために、メンズ1本でやるようになりました。今でもそうですけど、SNSで女性の方から“切ってください”とDMをいただくことがありますが、お断りさせていただいています」

アシスタント時代の大月さん(右) 写真/本人提供