『くいしん坊!万才』は大きな財産。家庭料理や食文化の“つながり”を実感できた

──『くいしん坊!万才』では毎回、日本各地の名物料理を食べ歩いていましたが、硬すぎる饅頭(まんじゅう)を口にして苦しそうにしていた姿を覚えています。

「ははは。もちろん、台本には目を通しますが、実際に食べるものの感触までは事前にわかりませんからね。地方でいただく郷土料理って、いわば家庭料理なんです。だから、味つけの好き嫌いも正直、最初のうちはあったけれど、だんだんとなくなっていきました。それに、苦手だったものも、だいたいは食わず嫌いなだけだったんです。番組を通して本当に勉強させていただきました

「いや〜ときどき、ビックリする食感のものもありましたけどね(笑)。食べ進めると、おいしさがわかってくるんですよ」と熱く語る 撮影/齋藤周造

──辰巳さんは知性派タレントのイメージが強かったと思うのですが、食べ歩きがメインの『くいしん坊!万才』に抜てきされた理由は何でしたか?

「当時、テレビ局や制作会社の中で、”次のリポーターは都会派のくいしん坊にしましょう“っていう提案がなされたとは聞いています。それで名前を挙げていただけたのは、ありがたかったですね。ロケでは沖縄も含めて、ほぼ全国を回りました。久々にかつて訪れた場所に行ったとき、昔の写真やサインがいまだに残っていたりすることがよくあります。時代とともにスタッフは変われど、当時の味が守られていたり……

──それは感慨深いですね!

「そういう場面によく遭遇するんですが、まさに“全国に足跡を残してきた”という証(あかし)のように感じられてうれしいです。ちょうど先日、城崎温泉のあたりに出石そば(兵庫県の郷土料理)を食べに行った際、当時、ロケで訪れたお店に顔を出したときもそう。あと、大分県の山の中、日田のおばあちゃんが作った鯖寿司がめちゃくちゃおいしかった! この前寄ったときにはもう亡くなられていましたが、娘さんが跡を継いでいたんです。家庭の味が途切れず、次世代にバトンが渡されていてよかった。食文化というものは、こうしてずっとつながってきたのだということを実感しましたね。それを学べたという意味でも、大切な番組だったと思います

──日本各地でいい出会いがあったのですね。

番組内では、実際に全国を歩き回って、匂いをかいで、触れて、味わって。おいしいものたちを全身で堪能できました。食とともに、各地方には地理的にも歴史的にもすばらしい点があることも学べて、日本に対する愛着もわきましたよ。そういえば、早起きして船に乗って、獲ったばかりの魚を使った料理を食べるなんてことも、しょっちゅうでした。あの経験があるから、船酔いもしなくなりましたね(笑)。振り返ると『くいしん坊』はすごく貴重な経験をさせていただいた3年間だったし、今でも自分の中での大きな財産です