コロナ禍で苦しむ蕎麦屋を助けたくて始めた店内演奏
──いやあ、クラシックの演奏家にインタビューしているとは思えないです。それにしても「蕎麦屋で演奏するバイオリニストがいる」と初めて知ったときは驚きました。どういういきさつがあって蕎麦屋でバイオリンを弾きはじめたのですか。
「コロナ禍になってから、SNSでつながっているお蕎麦屋さんが休業したり、“店をたたみました”と報告をいただいたり、悲しい気持ちになる出来事が多くなりました。“私で役に立てることはないかな”と考え、2021年12月に“お蕎麦屋さんの店内で演奏させてください”という演奏出前の募集を始めたんです。おもしろそうだと興味を持ったお客さんがお店に来てくれて、音楽を聴きながら食事をして、お蕎麦屋さんに貢献できたらいいなと思って」
──演奏で全国を巡りながらも「ギャラや交通費をもらっていない」と聞いて、びっくりしました。
「もらっていないです。あくまで“お蕎麦屋さんのお役に立ちたい”という気持ちで始めたツアーですから。“ギャラはいただきません。その代わり、お蕎麦を食べさせてください”とお願いしました。これには“プロのバイオリニストが無料で演奏するなんて”と賛否両論、さまざまなご意見をいただきましたね。けれども、どうしても困っているお蕎麦屋さんのお手伝いがしたくて、いてもたってもいられなかったんです」
──一般的な演奏会と、お蕎麦屋さんでの演奏では気分が違いますか。
「違いますね。お客さんとの一体感があって、とても楽しいです。音楽だけではなく“蕎麦好き”という点でもお客さんとつながれるので。蕎麦好きだというだけで仲よくなれる。お蕎麦って、人と人をつないでくれる食べ物じゃないかと思うんです」
「ラルクのバックで演奏したい」からバイオリンの道を選んだ
──蕎麦を愛するようになったきっかけはなんですか。
「L'Arc〜en〜Cielです」
──は? あの、バンドの?
「そうです。私は幼いころからラルクの大ファンで、ボーカルのhydeさんを尊敬しています。そしてhydeさんが“蕎麦が好物だ”というので、“私も好きになってみよう!”と思ったんです」
──蕎麦を好きになったきっかけがL'Arc〜en〜Cielだったとは。意外すぎます。
「ラルクがずっとずっと好きで、高校時代から現在までコンサートはなるべく全通(ライブや舞台、イベントなど、公演に対して『全部通う』を意味する造語)を心がけています。ライブがあれば北海道へも、ハワイへも行きます」
──そこまで熱心なドエル(L'Arc〜en〜Cielのファンのこと)だったとは。でも、ゆさそばさんはクラシックの演奏家ですよね。L'Arc〜en〜Cielとはジャンルが違うのでは。
「実は私、バイオリンを始めたのもラルクの影響なんです」
──L'Arc〜en〜Cielとバイオリン、どうつながるのですか。
「小学校4年生のとき、親戚の家にラルクのライブビデオがあって、それを視聴したのがバイオリンに関心をいだいたきっかけです。ライブ映像では『winter fall』(ウィンター・フォール)という曲にオーケストラが入っていて、“なんて美しい曲なんだろう”と感動したんです。それで、“私も将来、ラルクのバックで演奏したい!”と思ってバイオリンを始めました。子ども心に“バイオリンだったら演奏でhydeさんに近づけるかも”って下心もありましたね」
──初めて彼らのライブを実際にご覧になったのはいつですか。
「1999年、小学校5年生のときです。東京ビッグサイトで10万人ぐらい動員する大きなライブがあって、母と一緒に観ました。それで決定的にハマりました。小学生のころからドクロ柄やゴスロリっぽい服を着るなど、影響を受けましたね」
──お母さんはロックに理解がある方なのですね。
「母はヤマハのエレクトーン講師で、私が6歳のときにマイケル・ジャクソンのコンサートを観るために東京ドームへ連れていってくれたり、ジャズを聴きにブルーノート東京に連れていってもらったり。いろんな音楽に触れる機会を与えてくれました。バイオリンを習いたいと言ったら喜んで買ってくれたんです」
──小学生のころに芽生えた「L'Arc〜en〜Cielのバックで演奏したい」という夢は、その後も持続していたのですか。
「もちろんです。バイオリンを学ぶために武蔵野音楽大学に通っていたころも、そして現在も、想いはまったく冷めていません。バイオリンの仕事をしていると、つらい経験をするんです。同期や後輩が上手な演奏をしていると、本当に自己肯定感が下がっていく。そんなとき“ラルクに会いたい”“バックで演奏したい”という気持ちを噛みしめる。だから続けられる。ラルクが私の心の支えなんです。なんせバイオリン講師の仕事に就けたのも、ラルクのおかげですから」
──ど、どういうことですか。
「実はバイオリン講師の試験に一度、落ちているんです。音大の在学中に講師の募集がありまして、一度目は“ちゃんとしなきゃ”と就活スーツを着て行きました。髪もそれまで茶色に染めていたのですが、黒く染めなおして。でも、落ちちゃいましてね。二度目は“もういいや”って気持ちになり、茶髪のまま、普段着で試験を受けたんです。それで面接のときに、“ラルクが大好きで、ラルクのバックで演奏したくてバイオリンも始めました”という話をしたんですよ。好きなラルクの魅力を熱く語っている姿がイキイキしてよかったみたいで、それで受かったらしいです」