男女平等賃金を受け取って生き延びると決めてつかんだ「33歳での正規雇用」
「馬鹿ブス貧乏」の定義とは、「地頭がいいわけでもなく、平平凡凡であり、努力をしなければどうしようもない程度の能力の持ち主」「顔やスタイルで食っていけない程度」「賃金労働をして生活費を稼ぐ」そんな女性を指すといいます。
──先生はご自身のことも馬鹿ブス貧乏と書いておられますが……本当にそうでしょうか。
「そうですよ、本人が言ってんだから。事実だもん」
──著述業の前は、大学教授で英文学学者というアカデミックな立場におられましたが……。
「アカデミックなところなんて馬鹿ばっかだから。一部を除いて全体として。大学教員は基本的に『教育サービス労働者』ですよ」
──大学教員というお仕事を選んだ理由を教えてください。
「まず両親から、27歳で家を出てくれと言われていたんです。当時は、女性は主婦になるのが普通で、25歳を過ぎたら後妻の口しかないと言われていた時代。私は男女同じ給料を受け取れる仕事に就かなきゃ損、自分で食ってかなきゃいけないと必死に考えて、苦にならないのが、本を読むことくらいしかないんだから、本読んで食っていける職業をと、一生懸命考えた選択でしたね」
──33歳で大学教員として正規雇用されたと、過去のインタビューでも語っておられます。
「33歳で就職できたのは、人生でうれしかったこと3つのうちのひとつです。あとの2つは、マンションのローンを払い終えたことと、アメリカ文学のアイン・ランドの『水源』を訳せたこと。(結婚してくれと3年間アプローチされ、“気持ち悪くなかったから結婚した”という旦那さんとの)結婚式は人生の三大喜びとは関係ないですね(笑)」
大学教員は「信じられないような人ばかり」の真意とは?
──大学教員はどのような方が多いのでしょうか。アカデミックな世界と無縁の馬鹿ブス貧乏当事者として気になります。
「“先生のふり”をしていた人が多かったですね。教師という仕事を全然面白いと思っていなくて、『大学教授』は聞こえがいいからなった人たちなんだなって。実際は教育サービス労働者なんですよ。なぁにを偉そうにっていつも思っていました。アホな人がたくさんいるもんで、とても驚きました。信じられないような人とたくさん会いましたから」
──例えば、具体的にどのような先生が多かったでしょうか。
「勉強しない人、働かない人、威張ってる人、愚痴っている人ばかりでしたよ」
──勉強しない系教員のエピソードについて教えてください。
「例えば、英文学史の授業なのにね、1930年代で終わってるとか、10年前のノートをまだ使っているとかね。大昔でストップしている教員が多かったですね」
──なるほど……。では働かない系教員の関連エピソードをお願いいたします。
「教育サービス労働者にあるまじきことですけど、留学希望の生徒の推薦状を書かないなんていう人もいました。信じられませんよね。それでいて威張っているんですからね。私、教え子じゃない生徒の留学の推薦状を何通書いたか覚えてないですよ。“こんな子知らん”とか思いながら書いていました(笑)。“まぁ君、書きなさいよ。それを直すから”とか言って。その学生のことを知っている教員が面倒がってやらないから、私が代理でやっていました」
──知的職業の最高峰、教育者は職業に誇りを持ちながら働いているものかと……。
「元・優等生だったおばちゃん教員は愚痴が多かったですね。愚痴は要するに“もっとちやほやして”という不全感みたいなものだったのでしょう。人間関係に小器用な学内ホステスみたいな人もいたし。上司に好かれればいい、それでうまく渡り歩けると思っている女性教員を、私は『学内芸者』って心の中で呼んでいました。口には出さないけど(笑)」
──(笑)そのような、先生にとって「信じられないような人たち」と、どのように接してきましたか?
「間違っていると思ったことに対しては、言いたいことを言ってきましたよ。言いたいことを言うにはいくつかコツが要ります。今言うべき! という判断は一瞬なんで、言うべきときに言うと。タイミングが大事。言うべきときのために、普段は無駄口は叩かない。いつも無駄口を叩いている人の話は聞かれないものです。
男は3分しゃべっても聞かれる世の中だけど、女は1分しゃべってもうるさがられるともわかっていました。あと、オヤジは怒るもの(笑)。オヤジには3回に2回は負けとけ、と思っていましたね(笑)。3回に2回は負けておく、ペラペラしゃべらない。それで、いざというときに言いたいことを言う。話を通す秘訣は、とにもかくにも”無駄口は叩かないこと”です」