銀座線はすべて「〇〇前」。車内アナウンスされる副駅名の共通点は

 はて、これらの駅に命名の法則はあるのだろうか? 元東京メトロ社員の鉄道ジャーナリストで、『戦時下の地下鉄』など東京の鉄道史をテーマにした著書もある枝久保達也さんに聞いた。

「特に明確な基準はないのですが」と原則を話しつつ、枝久保さんは「前」の有無についてのニュアンスの違いをこう解説する。

『前』をつけることで最寄り駅であることをより強調する時代があった、と考えられます。三越前や外苑前は戦前に命名され、表参道駅も1972(昭和47)年に改名するまでは神宮前駅という名前でした。特に官庁や神宮の場合はその施設の最寄り駅で、地上に出ると目の前にあるという感覚でしょうか。

 それと、その施設が目的地としてどれくらいの重みがあるか、例えば半蔵門も御成門も現存していますが、門そのものを訪れる人はほとんどいません。だから『前』をつけて強調する意味は薄いと思われます

 時代で変わる言語感覚と駅からの細かな距離感。それは三越前と虎ノ門ヒルズにも反映されているようだ。どちらも最寄りの施設が建設費の一部を負担して開業した駅だが、

「百貨店の後から駅ができた三越前と違い、虎ノ門ヒルズ駅はステーションタワーと同時に建設し、駅と施設が一体となって開発されています。となると、わざわざ『前』をつけなくてもよいのかもしれません。地下で建物と直結した駅はほかにも多いですし、今なら三越前は『日本橋三越』駅になったかもしれません」

銀座線・半蔵門線の三越前駅は日本橋三越本店と直結している

 銀座線は三越前以外も、施設名にはすべて「前」がついている。同線は新橋を境に浅草側を東京地下鉄道、渋谷側を東京高速鉄道の2社が建設した。浅草側では建設費調達に悩んだ当時の東京地下鉄道が沿線の百貨店に費用を負担してもらったために百貨店最寄りの駅が多く、いずれも副駅名で「〇〇前」を採用。上野広小路は「松坂屋前」、日本橋は「高島屋前」、京橋は「明治屋前」、銀座は「三越・松屋前」と車内アナウンスで必ず聞こえてくる。

 渋谷側でも、東京高速鉄道が1938(昭和13)年に表参道駅と外苑前駅を開業させたが、当時の駅名はそれぞれ「青山六丁目」と「青山四丁目」。翌1939(昭和14)年に東京地下鉄道と東京高速鉄道で渋谷〜浅草間の直通運転が始まったのに合わせて両駅は神宮前と外苑前に改称、副駅名も含めると銀座線だけで7駅も「〇〇前」を名乗る。当時最先端の乗り物だった地下鉄は「前」で便利さをアピールしていたようだ。