受験期を思い出す

 例えば僕が河原の石なら、小さな娘が母親の為に拾うようなキラキラした石は嫌だ。僕が望むのは、少年が水切りに選ぶような使い勝手のいい平たい石でもなく、何百年も水に流されない屈強な大岩でもない。土の奥深くで眠る小さな石がいい。最深部で誰にも見つけられず、遠くに濁流の音を聞いていたい。

 YouTuberという職業をしているが、僕はそういう石になりたい。

 外に出るときはなるべく下を向いて早歩きをする。買い物をするときは店員に覚えられないように、快活でも無愛想でもない、ちょうどいい声量で感謝を伝えて退店する。電車に乗るときは息を殺す。まるで電車の一部かのようにつり革の揺れに合わせて動くのだ。

 しかし、その日の僕は昼過ぎまで寝坊してしまい遅刻寸前、柄にもなく疾走して電車に乗り込んだ。空いている車内はひだまりの草原のようにゆっくりとした空気の流れ、マスク越しにスーッ、フーッ、という僕の必死に殺している上がった息が余計目立った。走ったせいで着ているコートが暑かったが、電車内で服を脱ぐなんて目立つ行為ができる訳もなく、背中に汗が伝うのを感じながら、つり革と一緒に揺れていた。ドアと座席の隙間に寄りかかって単語帳を開いていた学ランの少年がこちらを一瞥する。

 季節は冬。受験期であった。

 思えば大学受験期の僕は今の僕とは真逆だった。なるべく目立つようにと黒い学ランの上に虹より鮮やかなマフラーを巻き、蛍光色の靴を履いて周りの景色を楽しみながらゆっくりと歩いていた(他校の生徒からは「妖精」と呼ばれていた)。

 そんな僕が受験期に考えていたことは、効率のいい勉強法などではなく、はたまた受験日までの日数などでもなく、大学に入学していかにして注目されるか、であった。

 大学に入る方法ではなく、大学に入ってからのことばかり考える阿呆。取らぬ狸のなんとやら。机上には参考書ではなく空論ばかりが広がっていた。

 当時話題沸騰だった斎藤佑樹投手のような運動神経やスター性もなく、ウィル・ハンティングのような頭脳や腕っぷしも持ち合わせていない僕が大学で目立つ方法は、どの赤本より難解であった。

「願書や受験票の写真が合格したらそのまま学生証に使用されるらしい」と知った僕が、裸の証明写真を撮りに走ったのはその答えを見つけたと思ったからだ。学生証が裸の写真だったら、大学でも人気者になれるだろう、という実に男子校らしい単純で突飛な考えだ。

 ただ、結果から言うとこの解はとんでもない誤答であった。

裸の願書で臨んだ大学受験

 僕が受験したのは早稲田大学、J大学、K大学の3校。裸の学生証でクラスの人気者になるキャンパスライフを夢見ながら、恋文に切手を貼るかのようにソワソワとワクワクの混ざった手で、裸で撮影した証明写真を願書に貼り付けて提出した。

 肌色のキャンパスライフに暗雲が立ち込めたのは、まずは一本の電話からだった。文字通り願いを込めた願書を提出し、受験当日に向けていよいよ勉強に集中し始めたところであった。テストを早く解き終えて余裕でペンを回していたら、実は裏面にも問題があったときのように、早稲田大学からの不意打ちの電話に、僕は額を擦りながら出た。

「矢崎さんの電話でお間違いないですか?」

「はい」

「提出いただいた願書についてなのですが」

 願書という言葉にピシッと背筋が伸びる。服を着ているのに裸で電話を受けている気持ちになった。

「写真の表情のほうを通常の表情で送り直していただきたく……」

 あ、表情なんだ。確かに僕の送った写真は裸に目が行きがちだが、その裸姿が浮かないように口を開けて挑戦的な笑みを浮かべていた。そちらを指摘するとは、さすが早稲田大学。目の付け所が違うね。気に入った。お望み通り通常の表情で送り直してやろう。再び裸で。

「すみません、かしこまりました。すぐにお送りし直します」。写真の笑顔と同じような笑みを浮かべて僕がそう言って、電話を切ろうとすると、

「あと、服装のほうも通常でお願いします」

 あ、ダメなんだ。僕の早稲田での肌色キャンパスライフはこうして幕を閉じた(送り直した証明写真はせめてもの反抗心で、映らない下半身を脱いで撮影した)。

 受験はJ大学から始まった。無事に受験できたということは、J大学ではあの裸の写真が通ったということだ。あぁ、J大学、なんて寛容。愛しています。そんな愛を持って臨めたからか、J大学の一次試験に僕は合格した。僕の希望学部では一次の筆記試験と二次の面接があり、面接はおまけ程度のものとされていた。

 そして、二次試験の面接当日。控室では皆が英語の単語帳や世界史の参考書を広げている中、J大学への愛を誓った僕は、参考書ではなく食べログを見ながら大学最寄りの四谷付近で美味しい店を探していた。

 あるいは裸の仲とも言えるJ大学と僕である。相思相愛の確認作業のための面接室に程なくして通され、僕はアカデミー賞を受賞して舞台に上がる俳優のような自信と緊張を兼ね備えた面持ちで、数人の大人たちの前に着席した。

 面接は終始和やかだった。面接官の前には書類が広げられており、恐らく僕の裸の写真もあるだろうに、そこに触れることもなかった。むしろ裸で全てをさらけ出しているからこそ、嘘のない人間性を買ってくれたのかもしれない。さすが、J大学。帰りには校歌を覚えて帰ろう。

「最後に、他に受けている大学はありますか?」

 笑顔の面接官が僕に尋ねた。ここで嘘を言っては裸の写真を送った意味がない。正直な人間性を最大限に発揮しよう。

「早稲田なんかも受けているのですが、その願書の写真を突き返されちゃったんですよね。その点、J大学さんは何も言われなかったので、僭越ながら僕にピッタリと、これ以上の大学はない、と考えています」

「今、手元に写真がないのですが、どんな写真を送ったんですか?」

「え? そうなんですね」。僕は一瞬たじろぐ。

 それは、何? これまでの和やかな面接は僕の包み隠さぬ写真の認識なしで行われていたものなの? 僕が本当のことを言ったら、この団欒はなくなってしまうの? そんな訳ないよね? 頼むぞ、J大学!

「えっと、裸で……いや、上半身だけですけど、裸で。笑ったような感じの写真というか」

 正直さが受け入れられていると信じて全てを打ち明けたが、そこに流れたのは、一家団欒テレビドラマを見ていたらベッドシーンが始まってしまったときのような気まずさと沈黙だった。

「なるほど。ありがとうございます。以上になります」

 そう言う面接官の顔はどんな顔をしていただろうか。正直思い出せない。ただ、帰りのキャンパスが灰色に見えたことは色鮮やかに覚えている。

 こうして僕は形だけの面接のはずの二次試験でJ大学に落ちた。そして、その合格発表までの間に受けていたのが早稲田大学。写真を受験前に突き返した、いや、突き返してくれた早稲田大学では3つの学部を受けていた。その3学部の合格発表は偏差値的には低い学部順で、最初の学部に僕は落ちてしまっていた。そうなると、他の2つの学部も絶望的だろう。

 こうなると僕は一層後悔した。なんで裸の写真を送ろうと思ったのか。何を意地になっていたのか。と言うか、裸の学生証の何が面白いんだ。なぜそんなに目立ちたかったのか。

 こうして派手な服を脱いだ僕は、裸の上に暗い服を着るようになった。

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』

 映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』はこんな僕のひどい話の後に紹介するのは憚られるほどの名作である。主人公のウィルは天才的な頭脳を持っていたり、バーで出会ったスカイラーに恋したりするが、幼少期のトラウマが原因で本心を閉ざしてしまっている。

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の予告編

 素晴らしい才能や熱い感情を持っていても、何かが原因で道を閉ざしてしまっていないか。ウィルのような深いトラウマでなくとも、僕のようにしょうもない見栄でも、人生にとっては殻や壁になる。人生を見つめ直すには、一度裸になるべきなのだ。あくまで文字通りの意味ではないので気をつけて欲しい。

 ちなみに僕はその後、奇跡的に早稲田の他の学部に合格していて、晴れて早稲田大学文学部に入学することができた。その合格通知をもらうまで親はたくさん慰めてくれたが、原因となった願書の写真のことは遂に言えなかった。

 もし打ち明けていたら、ウィルを抱きしめる心理学者のショーンのように「君は悪くない」と言ってくれただろうか(いや、どう考えても僕が悪かったです)。

(文/矢崎、編集/福アニー)

【Profile】
●矢崎
LA生まれ東京育ち。早稲田大学文学部を中退後、SUSURUと共にラーメンYouTubeチャンネル「SUSURU TV.」を立ちあげる。その編集と運営を担当し、現在は株式会社SUSURU LAB.の代表取締役。カルチャー系YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の矢崎としても活動中。

【今回紹介した映画】
●『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』
1997年公開のアメリカ映画。監督はガス・ヴァン・サント。天才的な頭脳を持ちながらも幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年と、最愛の妻に先立たれて失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたヒューマンドラマ。