三谷幸喜さんが「もう帰ってください……」
「ただ、当時の僕はエゴの塊。てめえが面白くなることだけを考えていた時期なんで、“劇団荒らし” って呼ばれていましたね。とにかく共演者に嫌われてもいいから、お客に好かれようっていうことしか考えてなかったんで、本当にひどかったです……」
そんなときに出会った芝居が、三谷幸喜が率いる「東京サンシャインボーイズ」の『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』だった。
「三谷さんのお芝居を初めて見たときに、ガツンとやられて。芝居は “役者の品評会” じゃないっていうのがわかったんです。
もう運命的な感じがしますけど、僕が落ちた日芸のサンシャインボーイズの芝居にやられたんですね。演劇通の友達何人かから、“お前、見たほうがいいんじゃねえか” ってクチコミで。その(僕に対する)言い方がなんか妙に引っかかるなぁと思って見に行って。
ちょうど楽日(1991年6月19日)で、超満員の本多劇場(下北沢)の階段に座って見たんですけど、最初は “何がそんなにすごいんだろう!?” と思って。勝手に役者さんを品評しながら見てたんですよ……」
『ショウ・マスト・ゴー・オン』(※) は三谷幸喜の代表作のひとつで、『マクベス』を上演する役者やスタッフが、さまざまなハプニングに襲われつつも奮闘するさまを描く。主演は舞台監督役の西村雅彦(現・まさ彦)。
※1994年に再演。また2022年には28年ぶりにリニューアル版が上演され、舞台監督役が女性になり鈴木京香が演じた。
「いま思い出しても鳥肌が立つんですけど、だんだんストーリーにハマって、最後はもう本当に……。心の底からしびれて拍手して、スタンディングオベーションですよ。まあ千秋楽だし、すごい拍手で。それから客電がついても拍手が鳴りやまないし、誰も帰らないんですよ。
で、困り果てた三谷さんが……まだ当時の僕は三谷さんと面識ないですけど、やせた演出家が舞台の真ん中まで出てきて、“もうカーテンコールないんです。ごめんなさい、帰ってください” って。笑わせることも何もできない三谷さんがお客さんに言って、それでやっとみんな拍手をやめて帰ったんです」
「忘れられないですね、日本にこんな上質な喜劇を書く人がいるんだっていう驚きと。あと、あらためて舞台っていうのは、ひとつの作品をみんなで作り上げるものであって、面白い役者を探すための品評会じゃないんだっていうことを、28歳のそのときに、僕はガッツリやられたんですよ。その後何本か見に行って、見るたんびにやられて。
やっぱりサンシャインボーイズも、まだみんな映像(ドラマや映画)をやる前の上り調子のときで、いちばんガツッとした時期だったはずなんですよね。のちのちテレビの現場で一人ひとりと会うことになって、やっぱり “共通言語” が持てるっていうか、自分が客席から見た経験もお話しできる。梶原善ちゃんとかすごく仲良くなって、一緒にサッカーを見にいったりね」
──梶原善さんは『鎌倉殿の13人』の善児役が評判になりましたよね! 三谷さん本人とはからんだことがあるんですか?
「仕事は1回もないですね。最初にお話したのは、俳優・池田成志の結婚式(1992年9月15日)。お互い本格的にテレビをやる前ですね。
かみさん(当時は交際中)と僕と三谷さんの3人が同じテーブルだったんですが、かみさんとナルシの家の話をしてたんです。“やっぱりナルシのお父さんとお母さん、名前のつけ方のセンスが面白いよな。弟がエルシだもん” ってしゃべってたら、三谷さんが急に食いついてきて、“どういう字ですか、エルシ?” “うあー、ごめんなさい、そこまでちょっとわかんないです” “あー、うん、そうですか” と。
“どういう字だろう……”ってずっとブツブツ言ってて(※)、さすが劇作家だなぁと(笑)」
※池田成志さんにお聞きしたところ、彫志(えるし)と書くそうです。