「理解語彙」を増やすことが第一。宮崎さんから見て言葉の使い方がうまい人は?
──語彙には、読んだり聞いたりしたときに意味のわかる「理解語彙」と、自分で能動的に書いたり話したりできる「使用語彙」とがあるそうですが。
はい。やはり、まずは理解語彙を増やすことが重要です。その言葉を知っているか、意味がわかるかどうかで決まりますから。私は、現代人のどのくらいが70年以上前の文献を読めるか、かなり不安を抱いています。戦前の文学者や思想家の文章は、いまからみると語彙水準が大変高く、難しい言葉を平気で使っていますから、夏目漱石の小説なんて、例えば『吾輩は猫である』でも、膨大な注記なしには読めない。もしかしたら、もうすぐ平易な言葉にしたヴァージョンが出てくるかもしれない。思想家・和辻哲郎や歴史学者・津田左右吉の文章もそうでしょう。私は一応スラスラ読めるけれど、今の若い子たちには難しいかもしれません。
それどころか、果たして戦前の新聞を読めるのだろうか。例えば、日本があの無謀な戦争に突入していったプロセスを辿(たど)るためには、当時の新聞を読むのがいちばんいいのです。人々はなぜ戦争への傾斜に抵抗することもなく流されていってしまったのか。当時のメディアからその生きた歴史を知ることは、現在を問い直すことにも繋がります。ところが理解語彙が少ないと、これすら難儀になります。そういう意味でも、まずは理解語彙を増やすことがとても重要だと思います。
そして理解語彙として捉えたら、次は「ここぞ!」というときに記憶から召喚して使ってみることですね。その語を発してみて違和感はないか? 周りの反応はどうか? などを見ながら繰り返し使ううちに、やがて自分のものとなり、使用語彙として定着させることができます。
──宮崎さんから見て、言葉の使い方が上手な人は誰でしょう?
この本でも引用している辺見庸さん、そして、この本では引用していないけど向田邦子さんですね。あとは三浦瑠麗さんのエッセイ集『孤独の意味も、女であることの味わいも』(新潮社)も言葉の措き方が巧みな本でした。この本からはとくに「濃やか」「細やか」の意味の差異を取り上げました。
(こまやか【濃やか】心がこもっているさま。情が厚いさま。親密なさま)
(こまやか【細やか】細かなさま。こまごまとしたさま。細部まで行き届いているさま。綿密なさま)
三浦さんには出来不出来はありますが、あの世代では抜群に文章がうまい。自分の文体があるし、措辞も巧み。ぜひ小説を書いてほしいと思っているんだけど。
(そじ【措辞】言葉の使い方。言葉の措き方。文章や詩歌における辞句の配置の仕方。「巧妙な措辞」「措辞を練る」「この詩は措辞に優れている」)