まさに言葉の大海に漕ぎ出してしまった。大事なのは、それをどう渡るか

──本書のエピグラフには、国語辞典『大言海』の編纂者で国語学者の大槻文彦の言葉が引用されていました。

言葉の海のただなかに櫂緒(かぢを)絶えて、いづこをはかとさだめかね、ただ、その遠く広く深きにあきれて、おのがまなびの浅きを恥ぢ責むるのみなりき/大槻文彦「ことばのうみ  の おくがき」『新訂大言海』)

 この一節は辺見庸さんの大好きなエッセイ(「時と言葉」『眼の探索』角川文庫所収)に出てくるんですよ。それで、暗唱できるくらいに覚えました。辺見さんは書きづまったときに暗誦するんだそうです。

 この本を書いていて思ったのは、本当に言葉の大海に漕ぎ出してしまって、えらいことになってしまったと(笑)。その広大さ、深さといったら、もう本当に尽きることがない。

 私は大槻文彦さんのような偉人に比べれば「燕雀(えんじゃく)」、いや「蚊虻(ぶんぼう)」のごとき存在であるにもかかわらず、やっぱり同じような思いを抱いたんです。

(燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや:ツバメやスズメのごとき小物がどうして大いなる鳥のような大人物が抱く高遠な志を知ることができようか〈いやできない〉)

(蚊虻:蚊やアブのような些細なもの)

 もうひとつ、書きながら常に念頭にあったのは、三浦しをんさんの小説『舟を編む』でした。(出版社の辞書編集部を舞台とした)作中に出てくる辞書も『大渡海』という名前なんです。「言葉の海を渡る舟としての辞書」の義でしょうね。だからやっぱり言葉は海なのです。世界を包み込む大海。そこをどういう風に渡っていくのかで、人生が変わってくるでしょう。

大海原を漕ぎ進む宮崎さんが今後どんな景色を見るのかにも注目したい 撮影/齋藤周造

【取材・文/篠原諄也】


【PROFILE】
宮崎哲弥(みやざき・てつや) ◎1962年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。政治哲学、生命倫理、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う。著書に『いまこそ「小松左京」を読み直す』(NHK出版)、『仏教論争』(ちくま新書)、『知的唯仏論』(新潮文庫、呉智英氏との共著)など多数。

『教養としての上位語彙-知的人生のための500語-』(新潮選書/宮崎哲弥著) ※記事中の写真をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします