松井珠理奈の頑張りとSKE48の“あり方”、当時は「大変だったことしかない」

──すさまじいレッスン現場だったのですね。以前、AKB48のバックステージの様子を撮ったドキュメンタリー映画を観たのですが、元SKE48の松井珠理奈さん(のちにAKB48も兼任)は、いつ代役に選ばれてもいいように、ほかのメンバーの振付も練習している様子がありました。

彼女はすごく努力家でしたね。やはり10代の多感な時期におけるグループ活動だったので、ライバル心からか、なかなか自分の振りをほかのメンバーに教えたがらない子もいましたし、自分以外の分もマスターするのは大変だったと思いますよ」

──私も女子校育ちなのでわかりますが、特に女子だけのコミュニティの場合、足を引っ張りあうようなこともありますね……。

「SKE48は立ち上げからかかわっていたのですが、珠理奈はプロ意識が高くて、すごくやる気もある子でした。もともとAKB48とは違う色を出したいと思っていましたし、彼女のように努力をしている子がセンターに選ばれたので、ほかの子たちには、“珠理奈がいろいろな選抜に選ばれるようになったとき、彼女を妬(ねた)んで足を引っ張るグループにもなれるし、頑張って! と華やかな舞台に送り出すグループにもなれる。君たちはどっちを選びますか”って伝えたんです。“例えば、AKB48と一緒の現場に出た珠理奈を見て興味を持った子が、SKE48の劇場に足を運んできてくれて、今度はあなたのファンになるかもしれない。だから、珠理奈、行ってこい! って背中を押してあげるマインドになったほうが、みんなハッピーでいられるんじゃない?”とも」

牧野さんの言ったとおり、松井珠理奈(写真いちばん右)はまたたく間に知名度を上げ、AKB48の人気メンバーと一緒にさまざまな現場に登場するようになった

──傷つきやすいメンタルをケアしながら、プロ意識を育てることも大事なのですね。

「日本では、“成長する過程が見たい”、“素人っぽさが逆にいい”というファン心理をすくい上げて、プロとしての心構えがゼロに近い子たちも、ポンとステージに出してしまう。でもステージ裏では、特に精神面において彼女たちを支えて、ちゃんと導いてあげることが重要なんです。今回、アクターズスクール再始動にあたり、こういうメンタル部分の教育にも力を入れてやっていくようにしたいと思っています」

──全盛期のAKBグループでは、時間がない中で振付を考案されていたと思うのですが、特に「これは大変だった」というエピソードはありますか?

大変だったエピソードしかないです(笑)。多忙な秋元さんの作詞が遅れて、メロディーだけ先に送られてくることがしばしば。歌詞がない状態で振りを作るのはやはり難しいですが、歌詞が入った曲ができあがるのは当日っていうときもあったり。あとは歌詞が間に合って、それに合わせて振りを作っても、当日にサビの歌詞が変わって、サビに合わせたキャッチーな振付が使えなくなるということもあって……。さらに、メンバーたちも立ち位置への不満などで一筋縄には言うことを聞いてくれないときもありますし(笑)。でも、“もう何があっても対応する!”っていう気持ちだけ持って現場に行っていました

「大変な場面は山ほどありましたが、学ばせてもらうことも多かったです」と笑顔で 
撮影/伊藤和幸

──振付を作るときは、どのように進めていますか?

「振付師によってそれぞれ作り方は違うんですけど、私の場合はフォーメーションを先に作るタイプですAKBグループみたいに大人数で同じようなダンスを踊っていると、観ているほうも飽きが早くきてしまうので、フォーメーションの組み替えで動きを出すようにしていました。AKBの振付を作るときって、列ごとに、立ち位置の番号をふっていたんです。例えば、“あなたは1列目の0番に立って、そのあと2列目の5番に移動”というように。でも、前から3列目以降とかになると、人数が多いこともあり、前の人との“位置被り”をすごく気にする子たちが出てくるんです。実際は、同じ番号でもなるべく重ならずに見える仕様にしているのですが、“私、番号が被ってるんですけど……”と、なかなか引かない。そこで、“0.75”とか、細かく刻んだ番号の立ち位置まで作っていましたね(笑)