'80年代のアイドルは替えがきかない存在だった、日韓アイドルにおける違いは?
──先ほど、ご自身がデビューされたころより現代のほうが過酷な部分があるとお聞きしましたが、ほかに'80年代のころと現代のアイドルとでは、何が違うと思いますか?
「やっぱり昔は、グループより個々の力があるかないかが重要だったと思いますね。中森明菜さんや松田聖子さんをはじめとして、みんな生歌で上手に歌えて、1人でのパフォーマンス力も高くて、それぞれが唯一無二の存在だった。今はグループが主流になっているので、言い方がよくないですが、“替えがきいてしまう”んですよね。
あとはCDを購入した分だけ握手ができるシステムが成立したので、プロダクション的にも、とりあえずたくさんの女の子を集めて並べておくほうが稼げたりして、実力がつくまで教育するような制度は敬遠されるようになってきました。お金と労力がかかりますしね。そうすると、ほとんどの子たちが“使い捨て”みたいなかたちになってしまう。それと、SNSなどで自分の評判が、マイナスのことを含め、すぐわかるようになってしまった。だからメンタルが鬼のように強くないと、病んでしまう子も多いんじゃないかな」
──聞けば聞くほど、10代の女の子グループをハンドリングしていくのは大変だと思うのですが、何かうまくやる秘訣はありますか?
「アクターズ最盛期のときは500人くらい生徒がいて、そのほとんどが10代の女の子だったんですよ。基本的には、“その年ごろの女の子はウソをつくもの”って捉えて接していますね。だって、私もそうだったから(笑)」
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/4/0/550wm/img_40702d236597869e3fbae82a6fa424f41151847.jpg)
──例えば、どういうときにウソをついたのですか。
「父からひどく怒られていたときに、涙を流して“すみません”って言っているけれど、心の中では“うるさい、ハゲ! ”みたいなことを考えていたり、“反省しました”とか言っておいて、注意されたことを直さなかったり(笑)。そういう経験があるから、10代の生徒が泣きながら謝ってきても、本当にそう思っているとは信じ込みません。でも、だからこそ恨むこともないし、ダメな子だなって思うことも、嫌いになることもない。“人間ってそういうものだ”と思っています」
──アンナさんは、ご自身の経験が豊富なので、指導者として深みがありますよね。
「私も父からずっと言われていて当時はわからなかったけれど、10年後に“こういう意味だったんだ”って、やっと理解できたことがいくつもあります。だから、たとえ10代の子たちが私が叱(しか)ったあとにすぐ舌を出していたとしても、大事なのは言い続けることなんです。何度できなくても、どんなに響いてなさそうでも、“こういうことだよ”って根気強く教えることを諦めない。忍耐力の勝負というか。それを続けて、いつかは私が言ったことをわかってくれるといいなって思っています」
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/6/9/550wm/img_69373645ecb9a455cab7182f6c284780884101.gif)
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/7/1/550wm/img_71879cb3d0d76976fccf1b115e5fc826866602.gif)
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/4/9/550wm/img_4932c28cb0a0d9bd2b30a7fce94a93e4893420.gif)
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/b/0/550wm/img_b0111116f28e6169cb210e286dde774a868310.gif)
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/0/c/550wm/img_0ce376dc0487d1ff7648f3a02323cf78872935.gif)
──アクターズ再始動にあたって、今度はアンナさん自身がプロデュースしたグループを作りたいという希望もあるのですか?
「アクターズには当時、選抜メンバーで結成された『B.B.WAVES』というグループがあって、今開催しているのは新生『B.B.WAVES』を作るためのオーディションなんです。この集団を全国的に展開していきたいなと。将来的にはプロダクションに所属する音楽ユニットもいれば、女優さんを目指す子もいて、高度なダンスチームやコーラスが得意なチームもいるような、メンバーの個性を生かしたグループにできればと。そのために一人ひとりの適性を見ながら、技術的なこと以外にも、メンタルを含めて徹底的に育成していくつもりです。もし今後、新生B.B.WAVESが大きくなり、それぞれ個別の活動をするようになっても、最終的にみんなが戻ってこられる場所にできればと考えています」
──最近のK-POPブームについては、どのように感じていますか。
「日本の中でダンスや音楽を本格的に育成するシステムが整っていないので、最近ですと能力がある子たちは、みんな韓国を目指すんですよ。だから、日本から才能が流出していってしまう。それと、向こうは世界戦略をきちんと立てているので、だいたい英語やほかの外国語をしゃべれる子がメンバー内にいることも大きいと思います。でも、日本の中で本当にカッコいいものを作っていたら、“ここで頑張りたい”、“日本から世界に発信したい”という子たちが、全国から沖縄に集まってくれるんじゃないかなって思うんです。意欲に燃える子たちに憧れられ、受け皿となれるような場所を、アクターズから作りたいですね」
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/1/c/550wm/img_1c0be1f682ac43e6be8f1850a72755b1727426.jpg)
元アイドル及び現役の振付師である牧野さんの視点から見た、昨今のアイドル事情。牧野さんの言葉を聞いていると、エンターテインメント業界は煌(きら)びやかなだけではなく、才能、努力、精神力が欠かせない厳しい世界であることに気づかされます。続くインタビュー第3弾では、アクターズの社長であり父であるマキノ正幸さんとの確執、アクターズを辞めてダウン症児を対象としたダンススクールを設立した理由、そしてアクターズ復活への思いを、たっぷり語っていただきます!
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
牧野アンナ(まきの・あんな) ◎振付師。ダウン症のある方のためのエンタテインメントスクール『LOVE JUNX』代表。1971年12月4日生まれ。日本映画の父と呼ばれたマキノ省三を曽祖父に持ち、祖父は映画監督マキノ雅弘、祖母は女優の轟夕起子、親族に長門裕之や津川雅彦という芸能一家に生まれる。父・マキノ正幸の仕事の都合で沖縄に引っ越し、沖縄のアメリカンスクールで学生時代を過ごす。父が創設した『沖縄アクターズスクール』に入学し、『SUPER MONKEY'S』としてデビューしたのち脱退。以降、チーフインストラクターとして生徒の指導にあたる。'02年、日本ダウン症協会のイベントをきっかけに退職し、同年『LOVE JUNX』を開業。また、AKB48グループの振付を多数担当し、公演もプロデュース。'22年からは、沖縄アクターズスクールの再始動に向け尽力している。
◎沖縄アクターズスクール公式Instagram→https://www.instagram.com/actors_school1983/
◎沖縄アクターズスクール公式HP→https://o-actors.com/
【INFORMATION】
沖縄アクターズスクール『NEW B.B.WABESオーディション』開催中!
沖縄アクターズスクールの生徒でありながらCDデビューし、レギュラー番組を持ち、CM出演、漫画化なども果たしたB.B.WAVESを令和に再結成!
沖縄在住の小4〜高3の男女であれば、歌・ダンスの経験は不問。締切は2023年3月12日。
![](https://fumu.ismcdn.jp/mwimgs/a/5/450wm/img_a56bfa0c077c406f0ef0ec160fc8cc921142644.jpg)