富も名声も得られず、裁判続きの人生に

 初飛行に成功してからのライト兄弟の人生は、「飛行機の発明者として、自分たちを世間に認めさせるための裁判」に明け暮れたものになりました。

 さらに悪いことに、ふたりがそんな不毛な時間を過ごすうちに、飛行機の技術は急速に進歩してしまったのです。

 ライト兄弟が初飛行に成功したわずか5年後の1908年には、フランスで世界初の飛行大会が開催されます。

 この大会では、飛行時間、高度、速度という3部門で競われましたが、満を持して参加したライト兄弟は、すべての部門で入賞すらできませんでした。

 裁判に明け暮れるうち、彼らの飛行機に関する特許の内容は、あっという間に時代遅れなものになってしまっていたのです。

 この大会の4年後に、兄のウィルバーは病死。その4年後、弟のオービィルは失意のまま、飛行機製造から身を引きました。

 その後、ライト兄弟が「動力飛行機による人類初の飛行機の発明者」として世間に認められたのは、1942年のこと。

 初飛行の成功から、実に40年近くたってのことでした。

 大成功をおさめながら、悲劇的な人生を送ってしまったライト兄弟。ひとつの成功にすがってしまった彼らの失敗は、大いに学ぶべき点があるように思えます。

 もし、彼らが「動力飛行機の技術は、人類の発展のために、大いに役立ててほしい」と声明を発表し、特許の取得をしないでいたら、どうなっていたでしょう。

 識者からも企業からも快く受け入れられ、世間からも尊敬されたのではないでしょうか? 何よりも、「富と名声を得るため」の裁判という、無駄なことに人生の貴重な時間を費やさずに済んだと思うのです。

 会社にも「あのビッグプロジェクトは、俺の功績なんだ」って、ずっと言い続けている人は、いませんか? ひとつの成功にこだわり、それにすがってしまうと、そこで成長はストップしてしまいます。何よりも、そんな人は周りからの軽蔑の対象になります。

 どんな成功も「ただの通過点」。それくらいの気持ちでいれば、自然と未来に目が向きます。

(文/西沢泰生)