絵がうまくなりたい一心でお金を貯めて画塾へ

──芸大を諦めるという、ある意味、挫折を経てからの漫画家デビューではあるけれど、今はご自身の漫画家人生と真摯(しんし)に向き合っているのが伝わってきます。

 子どものころからまじめで完璧主義だったので、その性格も影響しているかもしれません。美術や体育、音楽なども含めたすべての授業で、できないことがあるのが嫌だと考える子どもでした。親に言われたからとかではなく、テスト前は自主的に家でたくさん勉強や練習をして挑んでいましたね。

 初めてゼロから何かを創作したのは小学3年生くらいのころです。ふたつ年上の兄は読書が大好きな人だったので、お互いに小説を書いたあと、交換して読むということをしていました。

──そのころから美術を学びたいという気持ちがあったのですか?

 中学2年生までは、まったく。ただ少年漫画が好きだったので、中学3年生くらいのとき、漫画を描いて投稿してみたことはあります。落選したとき、「漫画の背景がうまく描けない。私は絵がヘタだ」と思って、画塾に行こうと決意しました。中学生はまだ働けないので、高校1、2年生の長期休暇を利用してアルバイトでお金を貯め、2年生のときに、スケッチで背景を描くことなどが学べる画塾に通い始めました

──16歳がアルバイト代で画塾に! 絵を描くことに対する熱意が感じられます。

 とても強く「絵が上手になりたい」と願っていたのでアルバイトも頑張れました。

 ただ、画塾は絵がうまくなりたいという一心だったので、美大や芸大を目指す気持ちはまだありませんでした。ほかの科目の勉強も好きだったので、将来どうなりたいか決めていない状態で通っていたのですが、画塾が終わるころに「絵を描くのにもっと時間を割きたいな」と思ったんです。

 そこで講師の方にいろいろな美大・芸大を教えてもらい、興味が出て資料を取り寄せていると、油絵を専門にしたいって気持ちがどんどんあふれてきて。高3になる前に、画塾を辞めて美大予備校に通い始めました。

油絵を深く学びたいという強い気持ちで美大予備校に通い始めた文野さんですが── 撮影/廣瀬靖士

3度の受験で不合格「人生でいちばんの挫折を感じた」

──美術の世界を志すことに対して、ご家族からはどのような反応がありましたか?

「あなたは勉強が好きなのに、進路を美術に絞り込むのはもったいない。卒業後、就職は大丈夫?」と心配されました。それでも両親は、私のアルバイト代だけではまかなえない美大予備校の学費を出してくれたんです。両親には本当に感謝していて、'21年に出した短編集『呪いと性春 文野紋短編集』の印税で、学費を返しました。

 ところが高校卒業後、東京藝大に不合格になり、そこから浪人時代が始まりました。

──英語とか数学とか、だいたいの科目は努力して勉強すれば報われることが多いですが、芸術は正解がない世界ですよね。

 不合格だとわかったとき、熱意や努力だけではうまくいかないこともあるんだと痛感しました。その後の浪人時代はとても苦しいものでしたが、親しい友人ふたりと、お互いにつらいことを打ち明けてなぐさめ合っていました。

 3回目の不合格で経済的にもう受験できないと思ったとき、それまでの20年の人生でいちばんの挫折を感じました。同時期にプライベートで人間関係が壊れる経験をしたこともあり、浪人時代は私のコンプレックスになりました。

文野さんの漫画には当時味わった悲しみや悔しさがリアルに描かれています 撮影/廣瀬靖士