昭和の芸人、現代の芸人、何が違う?

──寛平さんは今やGMでもありますが。

寛平 ほんまは昨年の10月くらいには引退しようと考えていたんです。でも一昨年の6月ごろ、会社に嫁と一緒に行って、「すいませんけど引退……」と言おうとしたら、GMとして新喜劇をもう一度盛り上げてくれへんかと言われて、昨年2月に就任しました。打診を受けたとき、「それやったら、若い子を育成したほうがいいから、若手用の劇場を作ってもらえないか」と言ったら実現してくれたんですよ。すっちーは座長として頑張ってくれてるけど、その下の世代が続いていない。それが心配やったんで。本当は引退して、大きな夢を追おうと思ってたんやけどねえ。

すっちー 僕らは寛平師匠がGMになってくれたので、僕らの声が世間にも会社にも届きやすくなるやろなと思ってました。

寛平 ほんまか? 正直に言いや(笑)。

すっちー 本当は「大丈夫かー」と思ってました(笑)。いやいや、本当に、師匠はいろいろ経験されているから、世間は「寛平が何か言うてるな」と思ってくれるし、会社も「じゃあ、形にしましょうか」となる。僕らはやりやすくなりました。

寛平 とはいえ、社員もみんな年下ですからね、若い子たちに僕らの考えが伝わっているかなと今でも思ってます。例えば、僕は昭和の人間だから、何か場を与えられたら「すぐに結果を出さなあかん」と思うわけ。それを若い子にも求めてしまいがち。でも今の若い子たちは、「そんなに慌てんでも、ちゃんとしたものを作ったほうがええやん」と思ってる。

すっちー そのあたりは確かに昭和世代とは違うかもしれませんね。

寛平 昔の芸人は売れるのが早かった。負けるなと言われて育ってきて、僕だって23歳でふたり座長、24歳でひとり座長になった。三枝兄さん(現・桂文枝)や、やすきよ(横山やすし・西川きよし)さんだって、ブレイクは20代前半やった。30過ぎたら、おっさんやと思うてた。今、40歳手前くらいでキャーッと言われるようになることも多いやんか。(お笑いコンビの)錦鯉なんて50歳。だから、コンビ別れして新喜劇に入ってくる年齢も上がってるんやろね。すっちーはいくつで来た?

すっちー 僕はコンビを解散して新喜劇に入ったのが35歳です。

寛平 今どきとしては早いほうや。キャリアを重ねてから入ってくると、ネタも作れるし腕があるから即戦力になるんです。

「イケオジショットお願いします!」とお声かけすると、ダンディーなポーズを決めてくれた 撮影/齋藤周造
……と思いきや、「今のポーズ、どやった? どやった?」と、どんどん近づいてくる寛平師匠。近い近い! 撮影/齋藤周造