昨年のことだが、劇場の座席に座ってぼんやりと映画の開演を待っていると、突如聴き慣れた音楽が聞こえてきた。
ポール・トーマス・アンダーソン監督の『リコリス・ピザ』の予告、音楽はデヴィッド・ボウイの『ライフ・オン・マーズ』である。
おぉ、ボウイの音楽が劇場にかかっている……、と聴き入っていると、予告は次の作品へと移り変わった。
ピクサーの新作映画『バズ・ライトイヤー』の予告だが、その音楽もまた聞き覚えがある……、『スターマン』だ!
まるでボウイのメドレー、ボウイのワンマンショー!
近年、映画の劇中や予告でボウイの音楽が盛んに使われていて、劇場でボウイの音楽がかからない日はないんじゃないかってくらいだ。
そういえば、アカデミー賞で話題の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の特報音楽も、デヴィッド・ボウイの『タイム』だった。
ボウイが地球を去って7年、衰えるどころか加速していくボウイの人気を示すような体験だった。
「伝説のカルトスター」「グラムの創始者」「ロック界最大の知性」「ポップ・カメレオン」……、ボウイの頭にはまりそうなピカピカの冠ならいくらでも巷にあふれているが、その実像はまったく掴みづらい。
定型的な「ロック」のイメージに対しては柔軟すぎるし、「ポップ」にしては退廃的すぎる。時に雄弁すぎ、傲慢すぎ、知的すぎ、美しすぎる。
何より、時期ごとにジャンルを変え、アバターを変えるカメレオンっぷりを、「個性のコレクター」という言葉で誰よりも的確に定義し、「Changes(変化を!)」と歌いあげているのがボウイ自身なのだから、もう始末に負えない。
前置きが長くなったが、そんなデヴィッド・ボウイの新作ドキュメンタリー映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』が公開となった。
デヴィッド・ボウイ財団が保管するアーカイブへのアクセスを初めて許可された今作には、見たことのないようなレアな素材が使われている。
映像は、ボウイの各時代のライブ映像、バックステージの記録、ホームビデオ、さらにはボウイの作品にインスピレーションを受け制作されたアニメーションやCG、レトロなSF映画からの引用と多岐に渡り、50年間に渡るボウイのキャリアをコラージュ的に辿る、単純なドキュメンタリーを超えたイマジネイティブな作品となっている。
特筆すべきは、ナレーションや関係者インタビューの類がなく、すべてボウイ自身のモノローグで構成されていることだ。
宇宙船の助手席にボウイの残留思念を乗せて、二人きりで一緒に旅をしているような不思議な感覚に陥るだろう。
では、『ムーンエイジ・デイドリーム』を見ればボウイの全てを知ることができるだろうか。
もちろん、そんなことはない。
言ってみれば、この映画はボウイという広大な宇宙空間に投げ出された宇宙飛行士の、一つの漂流ルートを示しただけなのだ。
宇宙を俯瞰する神のマクロな視点ではなく、深淵に触れてしまった『スペース・オディティ』の主人公・トム少佐のようなミクロな視点で、ボウイの音楽と思索の世界にダイブすることが『ムーンエイジ・デイドリーム』のテーマなのだろう。
それゆえ、ボウイ宇宙に足を踏み入れた漂流者たるあなたが、この映画だけでボウイを知り、その全貌を理解できると考えると混乱を招くかもしれない。
だが、この漂流に身を委ねることで、ボウイが持っていた人生への真摯な熱情と、ポジティブなバイブレーションを受け取ることは出来るはずだ。
『ムーンエイジ・デイドリーム』は、ボウイの音楽自体が持つパワーと、ボウイが各時期にどんな姿勢で人生に向き合っていたかを重点的に描こうとしているように感じる。
今となっては神格化され「常に完璧な存在であった」と記憶されているボウイだが、低迷期は幾度となく訪れたし、ボウイが時代遅れな「ダサいもの」として無視されていた時期だって間違いなくあった。
だが、その都度ボウイは自らを「チェンジ」し、過去の知識を訪ね、新しい世界に興味を広げることで、人生へ再び向き合うエネルギーを充填してきた。
この映画を見ると、ボウイという人は、人生を愛し、変わっていくことを楽しめる、物凄くポジティブな姿勢を持った人だったんだと気づかされる。
それが、常にスタイルも住む場所も変え、新しい自分を探し続けた莫大なエネルギーを生んでいたのだ。
もちろん、その姿もまたボウイの百面相の一つに過ぎないのかもしれないが、自らの人生を全身全霊で生きるボウイの姿と言葉に、僕自身が何か勇気のような物を授かったのは紛れもない事実だ。
あなたは、この旅の果てに、どんなボウイに出会うだろうか。
ちなみに、今作にはテーマ曲的に扱われている楽曲がある。
ボウイの黄金期である70~80年代の楽曲ではなく、95年にリリースされたアルバム『アウトサイド』に収録された『ハロー・スペースボーイ』という楽曲だ。
この楽曲をペットショップボーイズがリミックスしたシングルバージョンが、映画冒頭のシーンで印象的に使用されている。
『ハロー・スペースボーイ』はいわゆるボウイの代表曲には挙がらない楽曲だが、曲中で繰り返し宇宙飛行士の少年へ別れが告げられ、ボウイのキャリアのスタート地点である『スペース・オディティ』をモチーフにしているようにも聴こえる隠れた名曲だ。
「この混沌が私を殺していく」という歌詞も、どこかカオティックな今作の映像世界ともマッチしていて素晴らしい選曲だと感じたが、どんな意図でこの曲を選んだのか監督に聞いてみたいものだ。
そして願わくば、ボウイ財団が保管するアーカイブがまだ眠っているのなら、今後も様々な視点からボウイ宇宙を巡る作品が発表され続けていくことを期待したい。
(文・イラスト/タカハシヒョウリ、編集/福アニー)
【Profile】
●タカハシヒョウリ
ミュージシャン・作家。ロックバンド「オワリカラ」のボーカル・ギター、作詞作曲家。さまざまなカルチャーへの偏愛と造詣から、コラム寄稿、番組・イベント出演など多数。
【Information】
●映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』
監督・脚本・編集・製作:ブレット・モーゲン
音楽:トニー・ヴィスコンティ
音響:ポール・マッセイ
出演:デヴィッド・ボウイ
公開日:2023年3月24日(金)IMAX / Dolby Atmos 同時公開
配給:パルコ ユニバーサル映画
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