──なるほど。しかし趣味で創作をしているUKさんに「ネットリテラシー」の文脈でメディアから声がかかるということは、この19年で読者のインターネットに対する感覚も変わってきているんですかね。

個人的には19年前と比べて、相対的にネットリテラシーが下がってきているのかな、と思っています

──「相対的に」ですか。

以前、今ほどWebやSNSの文化が流行する前は、インターネットって“たかがインターネットやん”くらいの感覚だったと思うんですよ。ネットで拾った話題を人前で話すのがちょっと恥ずかしいというか、後ろめたいというか。"信用できる情報じゃない"というのが前提にあるので、話しにくかったですよね。

 そういう話を人にするときは“ネットで見た話なんだけど”という枕詞をつけるのが普通でした。インターネットを使う人みんなが情報の整合性を疑っていた、リテラシーの高い環境だったと思います」

──たしかに。みんなネットの情報は懐疑的に見ていましたよね。単純に"オタク"と思われる怖さもありましたが(笑)。

「でも今はインターネットの人口が増えて、ネットの情報を素直に受け入れてしまう人も増えてきた。もう誰も“ネットで見た話なんだけど”ってわざわざ言わないじゃないですか。新聞・テレビといった昔からあるメディアと並ぶレベルで説得力を持っていると思っている人が増えたんじゃないでしょうか。

 そんな中で、20年前と比べて相対的にリテラシーが下がってきていると感じるんです。でもそれは多くの人がネットを使うようになった結果でもあるので、だからよい悪いという問題でもないと感じます。

 発信者が正しい情報だけを伝えるべきであるのはもちろんですが、私は受信する側も以前のように“たかがインターネット”という感覚をもっと大事にしたほうがいいと思います。ネットリテラシーを高めたいのであれば、たとえ本当の情報だったとしても、ネット発祥ってだけで疑っていた疑心暗鬼の時代の感覚を思い出すことが必要だと感じますね」

──なるほど。一人ひとりが「思考する力」も失われつつあるように思います。以前であれば自分で情報の整合性について考えて判断していましたが、今は膨大な情報を処理する時間がないというか……。Web社会において正しい情報だけを見抜くことは難しいんでしょうか。

「私はシンプルで簡単だと思いますよ。そんなに難しい話ではなく、要するに“信頼に値するメディアの情報だけを仕入れて、他をシャットアウトするだけ”です

 時事ニュースの情報源なんて、大手の新聞やテレビ局のニュースをいくつかフォローしていたら十分じゃないですか。本当に重大なニュースなら必ず耳に入ってくるし、わざわざ膨大なデータの中から正しい情報を見抜くという作業自体が必要ないと思いますけどね