オカルトと民俗学に見られる共通項
では、『ダンダダン』ではオカルトをどのように描いているのでしょうか。民俗学の分野における価値観を手がかりに考察してみましょう。
まず、当時の「オカルト」が持つ求心力や時代背景を明確にとらえている、ミュージシャンでオカルトマニア(UFOマニア)の大槻ケンジ氏によれば、「オカルト」は風変わりな人たちの癒しや受け皿として機能していた面があったようです。また評論家の荒俣宏氏は過去の文献において、「オカルト」とは「もともと反社会的で超ヒューマニズム的な要素を持って」いるもので、「異端の文化」なのだといいます。
次に民俗学の分野はどうでしょうか。たとえば鬼は、馬場あき子氏の『鬼の研究』(1971年)にもあるように、祖霊や地霊、邪鬼、地獄卒など、宗教的価値観から生まれた怪異だけでなく、放逐者や賤民とされた異端の人々も「鬼」とされていたとしています。社会的弱者や迫害された人々にも着目し、分析されてきた分野です。
イタい趣味とされる「オカルト」に傾倒していたいじめられっ子のオカルンをはじめとするはみ出し者たちが数多く登場する『ダンダダン』には、差別されていた人たちの歴史もすくい取る民俗学と似た価値観が見受けられるのです。
ターボババアが「理不尽な死をとげた少女たちの霊を慰めて回っていた者」として登場したことや、災害を鎮(しず)めるための供物として殺害された不遇な過去を持ち、呪いとなった怪異「邪視」にジジが同情し、歩み寄った描写も同様です。『ダンダダン』では、こうした異端たちにスポットを当て、フラットな協力関係を結ぶ設定が多く取り入れられています。
加えて本作について特筆しておくべき設定は、恋愛の関係性です。桃はいわゆるギャル。愛羅は女子力高めのキャラクターです。そんな彼女たちから健(オカルン)がモテている構図は、以前のよくあるオタクへの態度からすれば、あまりリアリティを感じられないものだったかもしれません。しかし今やオタクへの偏見などは薄まってきた現代。不可思議な怪異たちも、読者が共感を寄せる異端である主人公たちと同様の立場として描かれています。
このように「オカルト」の特性を反映しながら、アップデートした設定が本作のキャラクター造形の特徴でもあり、また、ボーダレスな価値観が『ダンダダン』の最大の魅力である軽やかさを後押しし、“ジャンルレス”と称される作品性を強固なものにしたのでしょう。
(文/石水典子)
参考資料:
◎『オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析』2019/1/29、青弓社
◎『オカルト怪異事典』2021/9/7、 笠間書院
◎『日本懐かしオカルト大全』2017/12/15、辰巳出版
◎『平成都市伝説』2010/10/4、中央公論新社
◎『ダンダダン』1〜10巻 (集英社)
◎『鬼の研究』(ちくま文庫) | 馬場 あき子
◎『日経エンタテインメント』2022.5月号、p.26「最注目作 マンガ家インタビュー『ダンダダン』龍 幸伸」
◎『月刊ムー』オリジナル小冊子(2023.3 | ワン・パブリッシング)