10年前シアトルに留学していた頃のルームメイトが東京へ遊びに来た。
彼は2年前にドラッグで妻を亡くしたのをきっかけに、当時の破茶滅茶な生活からは足を洗った。そして自ら清掃会社を立ち上げ、ある程度貯蓄ができたので東京に遊びに行く、ということだった。
あのクリスがそんな真っ当な生活を送っているなんて信じられないという気持ちと、アメリカでも「頭がおかしい」と距離を置かれることも多かった彼が日本人に果たして受け入れられるのだろうか……そもそも前科もいくつかある彼が入国できるのか……?という不安が混在したまま、私は羽田空港で彼の到着を待った。
そんな心配をよそに、私の名を呼ぶ、馴染みのあるバカデカい声が聞こえてきた。遠くからでも周囲が彼を避けているのがわかる。対面してもなおクリスが日本にいるということが信じられないまま、力いっぱいハグをした。
「どこに行きたい?」「スシ!」
ホテルへのチェックインよりも先ずは腹ごしらえということになった。「東京で一番美味い寿司屋に連れて行ってやる」と彼を渋谷のリーズナブルな回転寿司へ連れて行った。
「初めて日本へ来るアメリカ人が寿司を口にして高級店と格安店の味の違いなど分かるまい」と高を括ってアテンドしたが、予想通り彼は「アリガトーー‼」と叫びながら旨そうに20皿ほど平らげた。
「もちろんここは俺の奢りだ」と得意げに会計を済ませ、酒でも飲みに行きたいところだったが、今では酒もタバコも断ったクリスは「コーヒーが飲みたい」とのことだったので、喫茶店に移動し、お互いの近況を話した。そこでわかったのは、クリスは私が予想したより遥かに金を稼いでいるということだった。
「今だって俺が日本でスシを食ってる間に1000ドル(14万円)が口座に入ってくるんだぜ」と話す彼の年収は、日本円でザッと4000万円程度だった。
「コロナ禍で世の中が混沌としている中、ひたすら経営について勉強したんだ」と言うクリスの話を聞きながら、「そんなに上手くいくものなのだろうか?」と思うと同時に、「回転寿司奢った分のお金返してくれないかな……」と脳裏をよぎる自分のことを惨めに感じた。
会社が大きくなるにつれて人員も増やす必要が出てきたので、一緒に住んでいた娘も雇う予定だと言う。
「キャメロンは元気?」
その娘の彼氏について私は尋ねた。
「キャメロンはドラッグのODで死んだ」
まったく知らなかったのでショックを受けたが、それこそが私のよく知るアメリカだった。
シアトルの留学から日本に帰る時、1年後に必ず戻って来ると友人たちに約束をした。
約束通り、私は彼らを訪れた。クリスを含む当時のルームメイト達はとても喜んで歓迎してくれたのを覚えている。しかし一方で、約束を交わした友人をその1年間に何人も失っていた。
亡くなった友人達と過ごした場所に戻ることで、彼らの死を受け入れることは辛かったし、アメリカでの別れにおいて、『See you soon』というありふれた挨拶がどれだけ重みのある言葉なのか身に沁みて感じた。そして、その辛さを避けるように、それからは連休で海外に行ける機会があっても、アメリカ以外の場所を選んできた。たとえ友人に会えたとしても、別れる時の覚悟の重さに自分が耐えられないことを知ってしまったからだ。
それだけに、今クリスがこうして成功を手にして健康な体で私に会いに来てくれたということが、本当に信じられなかった。
「アメリカには実はそういうパターンもあるんだな」
良い方にも悪い方にも振り幅がとてつもなくデカい、改めて気味の悪い国だなと思った。
それからの1週間は最高に楽しかった。
浅草寺やスカイツリーなど、東京に住んでいるからこそ絶対に行かないような場所を案内した。行く先々で、クリスは散財し、大きな声で人々を怖がらせた。そして楽しませようと思い連れて行ったストリップショーでは、チェキ会という異様な文化がかえってクリスを怖れさせた。そんなクリスを見て笑う日もあれば、仕事の都合で彼を1人にしなければならない日もあった。
「今日はシブヤでコレを買った」と金の指輪の画像が送られてくる。
叫びながら札束をカウンターに叩きつけるクリスと、困惑する店員さんの様子が目に浮かぶ。
あっという間に1週間が経ち、彼は腕に漢字で彫った「愛」というタトゥーを携えて帰国した。
「お前もシアトルに戻って来いよ」
彼の言葉に、もちろん、と返してから我々は別れた。
もしかしたら、クリスの商売は私が思っているほどクリーンなものではないかもしれない。
そんなことはなんだって良い。彼は子ども達と暮らす家を建てることを夢見ている。その夢は私の夢でもある。
アメリカでの出会いは辛い結末しかないと思っていたけれど、そんなことはないのだ。もはや夢ではなく、現実としてそう教えてくれた。
毎年「今年こそはシアトルに行くから」と伝えてきた友人から、「クリスが日本にいるってマジ?」と連絡が来た。
下北沢の駅前で叫んでいるクリスの動画を送ると共に、「俺もすぐにシアトルに行くからね」とメッセージを送った。メッセージがタップされ、ハートマークが付く。彼はいつもの私の言葉に、もはや期待すらしていないかもしれない。
「本当に行ったら、みんなどんな顔するだろう」
今まで幾度となくしてきた妄想も、近いうちに実現するはずだ。
その時のためにも、クリスの新しい家にはデッカいゲストルームを作ってもらわなくっちゃ。
(文/池田ビッグベイビー、編集/福アニー)
【Profile】
●池田ビッグベイビー
1991年生まれ、YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」のメンバー。185cmという巨体を武器に大学卒業後はネズミ駆除の仕事に就くも、YouTuberへ転身。「池田ショセフ」名義で音楽活動も行う。