ときには観客、ときには演者として表現される「物語としての人生」

 King Gnuが描く劇としての人生は、彼らが2020年にリリースした3rdアルバム『CEREMONY』でも表現されている。

 5月20日・21日に大阪、6月3日・4日に神奈川の2都市で行われる初のスタジアムライブツアー「King Gnu Stadium Live Tour 2023 CLOSING CEREMONY」でも歌われる本アルバム。イントロ(アルバムの1曲目)には『開会式』と名付けられたインスト(ボーカルなしの音楽)が置かれ、歓声に交じるオーケストラのチューニングに似た旋律からファンファーレへと移っていく。

 中盤には『幕間』という名の、こちらもインストで、幕間の物語性を帯びない音の連なりを挟み込み、そこから拡声器を使い、メッセージを発信する力強さを体現した 『飛行艇』へと向かっていく。

 終盤には『檀上』と記された、人の一生をまるで演劇を観るかのごとく俯瞰(ふかん)した歌詞の楽曲が登場。King gnuはしばしば、人生という劇を演じる役者を檀上に立たせ、客席から見つめる姿勢をとっている。そして、アルバムの最後は『開会式』と対になった『閉会式』で締められる。

 ときには観客、ときには演者になって表現する物語としての人生が、アルバム『CEREMONY』には内包されている。生きている役者が演じる限り、劇というものはひとつたりとも同じものがない。舞台を観ている私たちにも、檀上で楽曲を作り上げる彼らにも、降りかかる出来事の一寸先も想像できないという爆発的な高揚感を乗せて、King Gnuの音楽はどこまでも高らかに鳴り響く。

 演劇というのは目の前で起こっていることを肉眼で見られるという点で、非常に解像度の高い芸術である。彼らの音楽がリスナーの心に届くのは、まさに演劇と同じように、まるでその場にいるかのようなライブ感で、リアリティを帯びた音楽によって人々を慰撫(いぶ)し鼓舞(こぶ)するという理由にあるのではないだろうか