ソロに転向し再始動、シングルのジャケット写真に自身の“ヌード”を選んだ理由は

──バンド活動から、どうしてソロになったのですか?

バンドではボーカルとキーボードを担当していました。バンド自体も、学生のノリの延長ではなく、“卒業しても音楽で頑張っていきたい”っていう気持ちで結成したんですが、いろいろとうまくいかなくなって、解散しちゃったんです。

 最初のうちは、解散になったことがものすごくショックでした。これまで、好きなバンドや友達のバンドが解散するのを何度も見てきたはずなのに、自分のバンドが解散することは想定外だったんです。なんだか、“一生続けていくんじゃなかったんかい!”って、怒りに近い感情さえも湧いてきてしまって。“もう二度と誰かと組んで音楽はやらない!”と思って、ソロで再始動しました

──ソロでは楽器を弾かずに歌うようになりましたよね。

「キーボードで弾き語りをしてみたんですが、向いていないなと自覚して(笑)。アイドルみたいにオケ(演奏)を流してひとりで完結させるスタイルになったんです。当時。自分の周りのバンド界隈では、オケで歌っている子があんまりいなかった。だから珍しがられたり、ときには白い目で見られたりしたけれど、目立てるなっていう思惑もありましたね」

──同じころにライブハウスで活躍していた大森靖子さんの影響もありましたか?

「大森さんは、バンドが解散する直前に出会いました。大森さんが弾き語りしている姿を見て、“こんな風に素敵な感じには弾き語りできない”って思ったのも大きいし、そのときに、“ひとりでやるのもありだな”って勇気づけられました」

──大森さんがプロデュースしたでか美ちゃんのシングル『PAINPU』('14年)では、ジャケットにご自身のヌード写真が使われていますね。

「大森さんに何個かジャケット写真のアイデア出してもらって、その中にヌードもあったんです。“大事なところはちゃんと文字で隠す”って言われて、だったらそのジャケットが、いちばんインパクトあるなって思いました。乳首が見えるわけじゃないし(笑)、大森さんに信頼も置いていたし、あまり深くは考えていなかったですね」

──上京してからのでか美ちゃんの活動は、地元で話題になったりしましたか?

「ソロになってから2年目で、『有吉反省会』(2014年8月回)に出たんです。そしたら、テレビで見たとか、CDを買ったよっていろんな子か連絡が来て、周りも応援してくれていたのが伝わってきました。中学のときに歌手になりたいと伝えていた数少ない友人からも、“本当に(歌手に)なっているじゃん! すごい!”って言われて、うれしかったです」

「当時から周囲に夢を語ってもバカにされたことは一切なくて、ありがたかったですね」と笑顔で語る 撮影/矢島泰輔

『有吉反省会』出演がきっかけで、芸能活動を本格化。両親に芸名を伝えると──

──テレビに出演するようになってから、それまでの生活などが変わってしまうことが怖かったりしませんでしたか?

「いいえ。その当時、まだフリーターだったんです。“バイトするためにわざわざ東京に出てきたわけじゃないんだぞ”って自分にイライラしていたので(笑)、『有吉反省会』に出た後、すぐにバイトを辞めたんですよ」

──それは、芸能活動に本腰を入れるためですか?

「先行きなんて全然わからなかったけれど、万一バイトのシフトのせいで出られない仕事があったら意味がないって思ったんです。急な仕事にも対応できるようになったから、アピールしたほうがいいと思って、“バイトを辞めました! ”って、周りにも言っていたんです。そうしたら、“イベントに出てください”みたいな依頼が増えていった感じですね」

──もともとは歌手活動をするために上京したのに、バラエティ番組に出演することに抵抗はなかったですか?

それが、まったくなかったんです! もともと歌手になりたいって思ったきっかけが、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』('94年~'12年放送の音楽番組。フジテレビ系)に出ていた宇多田ヒカルさん。ポケットビスケッツも好きだったので、自分はテレビに出ている歌手が好きだったんだなと。“ザ・アーティスト”の方の中には、バラエティ色が強い番組に出ることに葛藤があるかもしれないけれど、私の場合はむしろ、“やったー!”って感じでしたね

──タレント活動を始めるときに、『ぱいぱいでか美』という芸名を親から反対されませんでしたか?

「最初に親に伝えるときは、さすがに緊張したんですよ。でも反応は、“あっ、めっちゃ面白いじゃん!”、“覚えやすいなあ”と、またもや軽い感じでした(笑)。私が学生時代に先輩から名づけられたときと同じ反応だったので、“やっぱり私たちは血がつながっているんだな”って感じました」

──グラビア活動については、何か言われたりしましたか?

「父親は、唯一グラビアの仕事だけは気にかけていました。“大事なところが出なければいいんだけど”っていう変な心配をしていましたね(笑)。ありがたいことに、非常に自由な家庭で育ちました」

芸名をすぐに「面白いじゃん」ととらえてくれたご両親、素敵! 撮影/矢島泰輔