先日、全財産を差し押さえられた。
諸々のギャランティなどが振り込まれた翌日、電車内で自分の口座を確認すると残高が0円になっていたのである。口座の履歴を確認すると「サシオサエ」という名前の人物へ僕が全財産を振り込んだ形になっていた。
正に青天の霹靂だった。「俺の185951円、どこいった!!!」今すぐにでも叫び出したい気持ちだったが、電車内だったのでグッと堪えた。全財産が突然無くなった。言いようのない気持ちに蓋をするかの様にぶっきらぼうに電車を降り、ホームを歩く。俺には何も残っていない。改札にSuicaをタッチをしようとしたその時、一抹の不安に襲われた。「もし残高が足りなかったらどうする」。視界に少し霞がかかり、周囲の人間が他人に見えた。そして、ピッという機械的な音がして僕は冷たい街に解き放たれた。
この世は何をするにも金がかかる。携帯も使えなくなり、電車にも乗れなくなった。小銭を数えて生活する毎日だったが、幸い僕の居候先には大量のカップラーメンがあるのでそれを食べて飢えをしのいだ。
そんな状態の僕にある日、最大の危機が訪れた。1日で3件の外用事をこなさなければいけない日が来てしまったのである。
携帯も無ければ金も無い。そんな社会的弱者の僕が都内を移動しまくり仕事を遂行しなければならないのである。それは到底不可能なミッションに思えた。だが、やらなければいけない。
入念な準備をして当日を迎えた。まずは駒澤大学駅へ行ってラジオの収録である。事前にWi-Fiのある居候先でGoogle Mapのスクショを撮りまくり、写真フォルダに膨大な量の地図を保存した。僕は方向音痴だ。万が一道を間違えたとしても復帰できる様、引きの地図や寄りの地図など、駒澤大学駅周辺の地形が把握できるほどスクショを残した。
やっと仕事現場につき、ラジオの収録を開始する。仕事中に金銭が発生する事は無いだろうか。いきなりお金を払わなければいけない状況になりはしないだろうか。そんな不安定な気持ちに苛まれながら、粛々と演者の話を聞いていた。人の心と経済状況はリンクすると思う。数多の貧乏を経験をしてきた僕は理解している。金が無い人間の精神はひどく不安定で被害者的である。
金を取られる事も無く仕事は終了した。次は横浜へ友達のライブを観に行かなくてはいけない。
ラジオを一緒に収録したディレクターにZepp Yokohamaへの行き方と地図を調べてもらい、その画面を携帯で撮影した。丸腰に加えて土地勘のない横浜。額に汗が流れる。
スクショを頼りに東横線に飛び乗る。目指すは横浜駅。そこに着いてさえしまえば後はなんとでもなるだろう。そう思っていた矢先、事件が発生した。
電車内のパネルに映る「次の駅」にいつまで経っても「横浜駅」が現れない。パネルに映る今後の駅は聞いた事も無い如何わしい駅の名前ばかりで、僕は段々と不安な気持ちになってきた。電波があればすぐにでも現状を確認したいが、ソフトバンクは僕にそれを許さない。このまま地の果てまで連れていかれてしまうのだろうか。限界を迎えた僕は新横浜駅で一旦降りることにした。高速で移動する離脱不可能な鉄の塊に身を委ねている状況に耐えられなくなったのである。
改札にいる駅員さんに横浜駅への行き方を聞くと、手元のiPadで乗り換えを調べてくれた。目的地へ向かう最短で最善のルートである。有難い。僕からすればそれは宝の地図である。喜び勇んでスマホでパシャパシャと撮影する僕に駅員さんは怪訝な顔をして「これ、Yahooの路線アプリです」「普通のYahooのアプリです」と連呼していた。
駅員さんから貰った宝の地図を頼りに、横浜へ向かう電車へ向かう。新横浜駅は初めて訪れた駅で、とても活気があった。駅構内には様々なお店が立ち並び、やれマドレーヌだの、やれクッキーだのと、オシャレな菓子に人々が群がっていた。
僕は食にあまり興味が無いので、口に入れば何でも同じじゃないかと見下した態度で歩いていた。第一、僕には金が無い。あと1500円ほどで横浜から脱出し、もう一つ用事を済ませなければいけないのである。無心の気持ちで駅構内を通り抜けたと思ったら、いつの間にか僕は「フルーツサンド」を手に持っていた。
今日ここまで様々な不安に襲われ、脳内に糖分が不足していたというのもあると思う。僕は貪り食う様にフルーツサンドに齧り付いていた。美味い。フルーツの優しさと甘味が体内に染み込んでいく様だった。
腹も膨れある程度落ち着いた僕は横浜駅への切符を購入した。残高は1000円になっていたが、横浜駅から次の駅に乗る分の電車賃はギリギリ残っている筈である。やり遂げたか。僕は少し安心した気持ちで会場へ向かった。
ところが、問題が訪れる。僕はふと気がついてしまったのである。「ライブってドリンク代無かったっけ」と。
ライブをする場所はどういう訳か入場料とは別に「ドリンク代」という謎の通行料を取られる風習がこの国には存在する。その計算を僕は怠っていた。帰りの電車賃を計算するとドリンク代が「600円以上」だった場合、お金が足りなくなる事に気がついた。額にまたしても冷や汗が流れる。
会場に着く。受付のお姉さんに全財産の千円札を渡した。「頼む。ドリンク代500円であってくれ。お釣りを500円くれ」僕は祈る様な気持ちで目を瞑り、お釣りの声を待った。
「400円のお返しになります♪」
可愛らしい残酷な声が響いた。この子はお釣りを返す行為が人を傷つける事になる時もあるなんて微塵も想像していないのだろう。まるでお釣りを返す事が100%善行であるかの様な無垢で傲慢な声でお釣りを返してきた。
慌ててトイレに駆け込み、財布をひっくり返して小銭を数えた。何度数えても50円足りなかった。終わった。僕は横浜から帰れない。どうにかしなければいけない。落ち着くためにとりあえず煙草を吸おうと、喫煙所へ向かう。そこで、奇跡が起きた。
「もしかして本田さんですか?」
煙草を吸っていた男性が声を掛けてきた。どうやら僕のYouTubeを観てくれている人らしい。「助かった」。声を掛けられた嬉しさよりも、この現状を打破できるかもしれないという嬉しさが勝った。
指についていたフルーツサンドのクリームをズボンで拭い、握手をした。そして息を整えた。「50円貸してもらえませんか」。全てを解決するその一言が喉元まで出ていた。だがその時、ある事に気がついた。
声を掛けてくれた男性の唇が震えていた。
目の前にいる男性は初期から動画を見てくれている様だった。僕に会えた嬉しさで声は上擦り、目は血走り、唇は大きく震えていた。嬉しい。とても嬉しい。一般人の僕が、会うだけでこんなに人を喜ばせられるのだから。だが、今は50円が欲しい。その震えを見てしまい「50円貸してください」とは言えなくなってしまった。僕に辛うじて残っていた1ミリのプライドがそれを許さなかった。
そしてライブが始まった。友達のYouTuberのライブである。Zepp Yokohamaの会場はとても広く、会場にいる観客は大声で声援を送っていた。僕は終始「こんなにたくさんの人に応援されている人は、50円に困る事はないんだろうな」という気持ちでライブを観ていた。
ライブが終わり、関係者挨拶の時間になった。ここで妙案が浮かぶ。僕は今から友人に会うのである。50円貸してくれないだろうか。ライブ直後とはいえ、こんなに大きな箱でライブをするくらいの大物だ。50円くらいの端金、ポンと貸してくれるのではないだろうか。でも、ライブ終わりの挨拶って財布を持ってきてるのかな。そんな事を考えていると、友人が近づいてきた。
「ライブ良かったよ。あと50円貸してください」。この言葉がまたしても喉元まででかかった。
だが、ライブ終わりの友人は、Zepp Yokohamaという舞台で大仕事を終えた友人の顔は、いつになく圧倒的なオーラを放っていた。「今日はありがとう!」そんな爽やかな挨拶をしてくれた友人を前に、50円に困っている自分がとてつもなくどうしようも無い存在の様に思えてくる。こんなしょうもない人間は横浜の地で朽ち果てるべきである。そんな思考になり、逃げる様に会場を後にした。
残るは五反田の友人の家へ向かうというミッションである。だが電車賃は50円足りない。詰んでいた。携帯をどこかに売ってしまおうかと思ったが、ブックオフは既に閉店していた。
妙案は浮かばず、浮浪者の様に横浜駅をただ徘徊した。僕に会えただけで唇を震わせる程喜んでくれた人、Zepp Yokohamaでライブをやった友達、いろんな人との繋がりがあったが、僕は僕のやることに必要な50円を持っていない。世の中は不思議な作りでできている。
大勢の無関係な人間で溢れている横浜駅でただ立ち尽くしていると、僕のスマホにある反応があった。電波が立ったのである。正確に言うと、どこかのお店の微弱なWi-Fiを拾った。
奇跡だった。まさに地獄に垂れた蜘蛛の糸の様なWi-Fiである。僕はその電波を使い、乗り換え情報を調べた。さっき駅員さんから教えてもらった普通のYahooの乗換案内である。すると、持ち金ぴったりで帰る事ができるルートが見つかった。駅で叫び声をあげる。世の中はよくできている。
その乗り換え情報をスクショする。連打である。安いルートだけあって乗り換え回数がすんごい。聞いたこともない駅を経由させられる。だが帰れる。
意気揚々と五反田へ向かった。友人の家へ行く予定だが、携帯が使えないので駅まで迎えに来てもらうことになっている。蜘蛛の糸Wi-Fiで到着時間を伝える。今後連絡する手段はないので、その時間に遅れるわけにはいかない。終電も近い。
最後の電車ミッションが始まった。電車賃的にも時間的にも、このルートを少しでも外れれば即アウト。泊まる金も無ければ友達に連絡する手段もない。超マイナー駅と路線を完璧に乗りこなさなければいけない激ムズ帰宅ミッションである。
そんな中、最後の問題が発生した。携帯の充電があと2%になっていた。乗り換え情報をスクショした写真フォルダを見なければ絶対に帰れない様なマイナールートでの帰宅なのに、ここで携帯を封じられるのは死を意味する。
僕は急いでバッグから今日ラジオの仕事で使った原稿の紙を取り出し、裏面に乗り換え情報を書き写した。やはり最後に信じられるのはアナログである。
するとその刹那、東京メトロの電車が到着した突風が吹き、僕の貴重な宝の地図もとい乗り換え情報を書いた紙が宙に飛ばされてしまったのである。僕は電池残量が1%になった携帯を再度光らせ、今度は自分の手の甲に乗り換え情報を大急ぎで書き写した。やはり最後に信じられるのは自分の肉体である。
こうして僕は最終地点である五反田に到着した。改札まで迎えに来てくれた友人の姿を遠目から確認した時は、本当に涙が出そうになった。
友人の家に行き、酒を飲む(奢りで)。こんな僕と一緒に酒を飲んでくれる友人がいて、僕は恵まれていると心底思う。
その日の夜は、異常な多幸感に包まれていた。恵まれた人生を作ってくれている友人を前に、僕は感謝の気持ちを抑えられなくなった。普段は照れくさいが、今ならあの言葉を言える。僕は友人の顔を正面から見てこう言った。
「家に帰るための電車賃、貸してください」
(文/わるい本田、編集/福アニー)
【Profile】
●わるい本田
1989年生まれ。YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の出演と編集を担当。早稲田大学を三留し中退、その後ラジオの放送作家になるも放送事故を連発し退社し、今に至る。誰にも怒られない生き方を探して奔走中。