事務所の先輩・夢麻呂に笑いの基礎を教わった

──どうやってもみんなから愛されてしまうウドちゃんですね。それでも、人知れず苦労したことなどはありますか?

 僕の家族は、両親、姉2人と弟、祖母の7人なんですけど、女の人のパワーに包まれて育ったなと感じてるんですよね。母と祖母はいつも「お前はやればできるんだから」と事あるごとに言ってくれていて、いつも学校から帰ると母が近所のママ友とよくお茶を飲みながら、「うちのヒデキはやればできるんだよね。やればできるんだけど、やらないのよね」って言いながら笑っていました。

 なので自分は、可能性があるのにやらないから結果が出ていないだけ、とずっと思っていましたよね。そうなんです。自分に対する可能性を信じて、ここまで育っちゃったんです。だから芸能界に入っても、きっと必ずお笑い芸人になれる! と考えたんでしょうね。それは母の育て方のおかげかもしれません。

バカでもいい  利口でもいい  ハンパでも  枠とびこえて  大バカがいい

大いなる  愛に包まれ  育てられ  感謝と陳謝  心より捧ぐ

──『ウドの31音』より

 でもね、やっぱりすべては周りの人のおかげです。東京に出てきて、事務所の浅井企画にアポもなく飛び込んだときも、たまたま事務所にいた夢麻呂さんが僕を育ててくれました。ついて行った現場は、志村けんさんの『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)。夢麻呂さんは、その人気番組の前説をやっていたんです。志村けんさんや大御所さんが出る前に、まだ知られていない芸人がお客さんを笑わせて盛り上げていくんですけど、夢麻呂さんの全身全霊の話術とパフォーマンスで、目の前のお客さんは大爆笑! “うわぁ、すごいなあ”と感動しました。

 夢麻呂さんは、芸名もつけてくださいました。バイト先もご一緒にお世話になったのですが、仕事がまったく覚えられず、失敗ばかりする僕を見ていて、「お前は身体ばっかり大きくて全然役に立たない、ウドの大木だな」っておっしゃって、「ウド鈴木」と名づけていただきました。

 しかも、自分は最初お笑いでツッコミをやろうとしたんですけど、そこでも夢麻呂さんが、オマエはボケだ、と。自分のキャラを知らないとダメだということで、夢麻呂さんの劇団に呼ばれて、初舞台を踏みました。

 今も鮮明に覚えているのは、初舞台のとき、本番5分前になって、お前が前説をやれと。僕は、「本番前に言われたってできませんよ」と袖にしがみついたんですけど、「ウドはいちばん間近でオレの前説を何回も見てきたんだ、できないはずはない!」って引っ張る。そうやって、できる、できない、の押し問答があり、本番直前に暗転してバーンッ! ステージに押し出されました。

 押し出す直前、とにかくステージの前で黙って立ってろ。何だこいつ、変だなって思われてお客さんがクスクス笑い出したら、ニコッと歯を出して笑え。それを繰り返すんだ、と夢麻呂さんに言われ、そのとおりにやりました。衣装は、その後、夢麻呂さんと歌う『仮面舞踏会』(少年隊)の衣装、でも坊主頭です。シーンとする中、クスクスと笑い声が聞こえ、今だ、という瞬間にニコッ。爆笑です。

 あのとき、すべてを説明しなかったですけど、緊張をほぐすために前説をやらせたんでしょうね。緊張と緩和、そして、笑いの基礎が身を持ってわかった瞬間でした。すべて説明せずにやらせるというのも、また夢麻呂さんに教えられたことです。

 あっ、苦労したことをお話しするの、忘れてました(笑)。

人知れず苦労したことを思い出そうとするが…… 撮影/有馬貴子