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バラエティ

日高大介、妻との出会いは『アタック25』! クイズ作家から見た“令和で推せるクイズ番組”、学び続ける理由とは 

SNSでの感想
日高大介さん。クイズプレイヤーとしてだけでなく、クイズ作家としても活躍するようになったきっかけは……?
目次
  • 大学生活は“3足のわらじ”、クイズの仕事を始めるも最初の1年は大苦戦
  • 『ヘキサゴン』の仕事が刺激に。当時は月30万円の借金返済に追われる日々
  • 『タイムショック』では手に汗握る名勝負を展開。最近気になる番組は?
  • クイズで生計を立てるには、最短距離ばかりを求めず自分に合う道を探すべき
  • 『アタック25』が育んだ妻との絆。プロポーズは驚きのタイミングで

 クイズ作家として活躍している日高大介さん(45)は、『パネルクイズ・アタック25』(テレビ朝日系)の最終回「史上最強のチャンピオン決定戦」で準優勝。『タイムショック21』(テレビ朝日系)優勝、その他いろんなクイズ番組にも解答者として出演し、輝かしい成績を残しています。

 今回は、日高さんにクイズ作家になった経緯や、今もさまざまなことを学び続けている理由についてお聞きしました。

(インタビュー第1弾→『アタック25』優勝のクイズ王・日高大介、勉強は得意? 印象深い問題は? 必勝法は? 気になる疑問をぶつけてみた / 第2弾→クイズ作家・日高大介、まさかの連続『高校生クイズ』3年分の思い出と突然の“パニック障害”で進路を変えた過去

大学生活は“3足のわらじ”、クイズの仕事を始めるも最初の1年は大苦戦

 前回、慶應義塾大学に6年間通い、クイズ研究会に所属していたと伺いましたが、それ以外の部分ではどんな大学生活を送っていましたか?

当時は、クイズ作成のアルバイトに加えて、塾講師と家庭教師という3足のわらじを履いていたので、学校に行く暇がなくて(笑)。小学生から高校生までを教えていました。もう時効だと思うのでお話ししますが、大学生って本来は、週に2日までしか授業を持てなかったんです。でも、“大学に行かないから大丈夫ですよ”って上司にお願いして、一週間フルで授業を入れてもらっていました。塾講師は5年ほどやらせていただきましたね」

──クイズ問題を作成するクイズ作家の仕事は、いつごろから始めたのでしょうか。

「先輩が『全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ系)の問題を作っていたことがきっかけです。“僕もやりたいです”と立候補して、大学2年のときに紹介してもらい、'98年の3月から始めました。問題をたくさん作って出したのですが、最初の年はほとんど採用されませんでした。全部で600問出して、採用は40問から50問くらい

──採用されるのは大変なのですね。

「いえ、僕が下手だったからです。それまでもずっとクイズの勉強をしていたので、基礎的なクイズの力はあったとは思います。でも、それを単にコピーしていただけだった。自分らしさみたいなものがクイズ作成に出せていなかったなと今は思います。『高校生クイズ』の問題作成に参加した1年目は、スタッフロールに自分の名前が載りませんでした。一緒にテレビを見ていた先輩の名前は載ったんです。相当、落ち込んでいるのを先輩も見かねたのか、下宿の近くのコンビニでパフェを奢(おご)ってくれたのを覚えています(笑)

──そこから、どのようにして奮起したのでしょうか。

2年目はすごく反省して、番組の分析から始めました。まずは『高校生クイズ』のビデオを繰り返し見て“採用されるのはどんな問題なのだろう”という観点から研究しました。それと、(『高校生クイズ』司会の)福澤朗さんの問題文の読み方を研究したんです。福澤さんの口調に合わせて問題を作りました。さらに、高校生が答えやすい、口に出したい言葉は何だろうということも研究して、それが答えになるクイズを逆算して作ったりもしました。今でもそうなんですけど、クイズを勉強している人の目線で問題を考えてはダメなんです。よく、“クイズ王目線でクイズを作るな”と怒られます。日ごろからクイズやっている人にとっては“簡単”っていう問題も、一般の方から見たら決してそうではないことが、よくあるんですよね」

『ヘキサゴン』の仕事が刺激に。当時は月30万円の借金返済に追われる日々

──確かに、近年のクイズ番組は問題が難しすぎて楽しめないときがあります。

先ほど言ったとおり、クイズを趣味としていない人や、ちょっと知識に興味があるくらいの視聴者の目線に立ってクイズを作ることが大事です。そのクイズが、世間にとってどれくらいの難易度なのかを判断するのがとても難しいんですね。今もまだ完全にはわかりません。それがわかりかけるようになってきたのは、30歳を過ぎてからのような気がします」

──それは何か、きっかけがあったのですか?

「27歳のとき、本格的にクイズ作家を名乗り、『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)の仕事を始めるようになったことが大きいです。この番組では“おバカブーム”がやってきて、出演者が人気になりました。番組は決してヤラセではなく、解答者がわかる・わからないの絶妙なラインを見極めることがいちばんのキモとなる番組だったんです。本格的なクイズを作って、視聴者のみなさんも面白いと思ってくれて、決して解答者をバカにしたような問題は出さないことが求められました。毎回が真剣勝負でしたね。もっともシビアにジャッジされる現場だったので、鍛えられまし

──『クイズ!ヘキサゴンII』に作家として加わるようになったのはなぜですか?

『クイズ王最強決定戦〜THE OPEN』(フジテレビ721)という番組で、'05年と'06年の2回、準優勝させていただいたんです。その番組の制作会社が『ヘキサゴン』にかかわっていて。ちょうどその頃が『ヘキサゴン』がリニューアルするときで、解答者が6人から18人に増えて、とにかく問題数がたくさん必要になった。それで、制作スタッフの方がクイズ問題を量産できる人はいないかと探していたところに、“クイズ王決定戦で準優勝した人がいたな……”って思い出してもらった感じで、声をかけられたんです

──その当時は、どのような生活をしていたのですか?

「いや~。その当時は、クイズ作家として食べていこうと思って学習塾も家庭教師も辞めていたんです。だから本当に、食うや食わずの状態だった。無職なのに、大学の学費の返済や、親の借金の肩代わりをしていたこともあって、当時は生活費以外に月30万円の支出がありました。本当に貯金がゼロになりました

──それは大変でしたね。

「経済的には鍛えられましたね。大学も最終的に中退なのか、除籍なのかわからないですが、もし除籍されていたのなら、僕の最終学歴は『代々木ゼミナール浜松』になりますね(笑)

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