映像作品のために自宅を爆破! やりすぎて家族に泣かれたことも

──THE PRIVATESのデビュー曲『君が好きだから』('87年)では、PVの監督もされていますね。当時、音楽雑誌のインタビューで延原さん(THE PRIVATESのボーカル・延原達治)が死ぬほど走らされたと語っていたのを覚えています。

「ミュージシャンって、撮影ってすぐに終わるって思っているんだよ(笑)。だからすごく時間がかかるって言う。でも映画とかをやっている人間にとっては、すぐに撮れるものではないわけ。だっていろんな角度から撮らなくちゃいけないからね。俺が新人バンドのプロモーションにかかわったのは、若いバンドに愛情を持ちたかったから。俺たちも大人に逆らっていたのだけれど、同時に理解してくれる大人もいたから世の中に出てこられた。若い芽は摘みたいっていう気持ちもあるけれど(笑)、まずはみんなに紹介したい。そういう気持ちからなんです

──ちなみに監督をした映画の撮影で、家の一部を爆破したというのは本当ですか?

『デスパウダー』('86年)かな。フォーライフ時代の印税で建てた家だったんだけれど、軽く爆破させようとしたらスタッフが火薬の量を間違えちゃった(笑)。家の中でバーンッてなってしまって、家族から泣きながら“やめてー!!”って言われました。大ひんしゅくを買いましたよ

──泉谷さんは、なんでも全力なのですね。

「ほかにも倉庫を借りて爆破したときも、スタッフが“派手にやりましょう”って言うから任せたら、(火薬の)量を間違えちゃって大きく爆発したんだよね。でも映画を作るって、半分犯罪みたいなものだからね(笑)

──石井聰亙(現・石井岳龍)監督の作品で美術を担当したのは、どういういきさつでしたか?

「ぴあフィルムフェスティバルに入選した『突撃!博多愚連隊』(’78年)を観たら、すごいのがいるって感銘を受けて。そこから『狂い咲きサンダーロード』(’80年)や『爆裂都市』(’82年)にもかかわらせてもらった。当時は、若いからみんな怖いもの知らずだったよね。自主制作だから、お金がない。でもすごいエネルギーにあふれていた」

──今は、YouTubeでPVを公開したり、サブスクリプションで手軽に音楽も聴けるようになりましたが、当時と比べると熱量が減ったように感じますか?

「それは違うと思う。スマホだろうがなんだろうが、便利なことに越したことはない。でもスマホが全部やってくれるわけではないからね。なんだかんだで、音楽が好きなやつらが求めているのは原始的な感動だと思うんです。それはスマホではできない。みんなスマホで観られるから簡単って思っているけれど、YouTuberだって大変ですよ。みんなやっていないから、ラクに稼げると思ってしまう。実際はYouTuberって、再生数を上げるために努力をしているわけじゃない。それに疲れて、闇バイトみたいな広告をクリックしちゃうんじゃないかなって思うよ(笑)

泉谷しげるさん 撮影/齋藤周造

お客から元気をもらうのではなく、与える!

──フォーライフ・レコードを設立したり、映画を撮ったりしたパワーはどこから出てきたと思いますか?

「あれは高度成長期だったからできたんですよ。世の中が儲かっていたから、貧乏ができる。自分が儲かっていなくても、隣にいるやつが儲かっていれば“金を貸してくれ”って言えばいい(笑)。今は世の中が貧乏だから、何かを作り出すのが難しいと思う。みんなスマホばかり見ているのは金がないからだよ」

──よくライブで「お客から元気をもらうんじゃない。俺が与える」とおっしゃっていますがそのパワーの源はなんですか。

だって金を取っておいて、客から元気をもらってどうすんだよ!(笑)。おかしいだろそれじゃあ。こっちは金取った以上のことをやるからね。これが『バケモノ理論』なんです

──さきほどから、何度もおっしゃっている「バケモノ」につながるのですね(前編参照)。

俺にとってのエンターテイメントは、大変なときにこそ元気を出せる人じゃなければいけないって思う。いちいち落ち込んでいても仕方ない。だから異常体質になるために身体を鍛えないといけない。嫌な現実に“どけ、邪魔だ”って押し返せるようにしないといけない。弱いからこそ、鍛えるんですよ