お笑い芸人として、映画人として、日本のエンタメ界で幅広く活躍しているゴリさん。
中学校の同級生・川田広樹さんと1995年にお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成。結成当初から舞台で注目され、人気テレビ番組にレギュラー出演するなどして知名度が上がり、全国区の芸人さんに。出身が沖縄県であること、2000年代に演じたキャラクター「ゴリエ」ちゃんが大ブームを巻き起こしたことなどのエピソードは、多くの人に知られているのではないでしょうか。
30年近くにわたって第一線にいるゴリさんは、近年では映画監督として国際的に評価され、また故郷・沖縄を絡めた活動がどんどん増えています。どんな思いでエンターテインメントに向き合っているのか、また、プライベートは!? 気になることを直撃しました。インタビュー第1弾のキーワードは「沖縄」です。
40歳で「沖縄への恩返し」を決断し舞台、YouTubeを通して文化や名所を紹介
1972年生まれで、今年5月に51歳の誕生日を迎えたゴリさん。沖縄では「復帰っ子」と呼ばれることがあります。それは沖縄が日本に返還され、本土復帰を果たしたのが'72年だから。この年に生まれた全員が「復帰っ子」で、県民にとっては歴史を感じるバロメーターなのかもしれません。復帰50周年を数えた '22年、ゴリさんは多くの番組やイベントに出演しました。
──生まれた年なので復帰に対するリアルな感覚はないかと思いますが、「復帰っ子」と呼ばれることをどう感じていますか?
「沖縄が日本に返ったおめでたい年に生まれたと、うれしいイメージで捉えていました。でも歴史の中には、米軍基地が残ったまま復帰を喜べないと思う方がいるなど、いろんな立場や考え方があるとわかり、手放しで喜んではいけないと思うようになりました。本や資料を自分なりに読みましたが、“知ったかぶりはやめよう、中途半端な知識では臨まないようにしよう”と意識してきました」
──ゴリさんの沖縄での活動が増えたのは、10年くらい前からですよね?
「はい。40歳になったときに、“ヤバい、人生の折り返し近くになった”という気持ちになり、何をすべきか考えました。その結果、芸能の世界で学んできた自分の経験を生かして、沖縄に恩を返していくのがいちばんいいのではないかと思えたので、沖縄の風習や文化を取り入れて舞台で演じる『おきなわ新喜劇』を旗揚げしました。
事務所(吉本興業株式会社)が開催している『沖縄国際映画祭』に対しても、“県民が喜び、多くの人が集まって活気づくイベントを開いてくれてありがとう”と感謝しています。国際通りのレッドカーペットを歩くとき、いつもうれしさを噛みしめているんです。これからもエンタメを通して僕が表現できることを、頑張るだけですね」
──沖縄への恩返しがモットーなんですね。ご自身のYouTubeチャンネル「ゴリ★オキナワ」でも、おすすめスポットや飲食店の紹介をはじめ、多くの情報を発信しています。
「週に3回、動画をアップしています。地元の人しか行かないマニアックな食堂などを紹介しながらメジャーどころもたまに入れ、“このチャンネルを見て沖縄に来てね”という気持ちで取り組んでいます。視聴者の期待を裏切ることはできないので、飲食店はまず自分ひとりで食べに行き、おいしいと思ったら撮影します。僕の味覚での紹介になりますが、言葉の重みは伝わると思います。まだまだ埋もれている沖縄の匠がいっぱいいるはずなので、今後も紹介していければと」
──多忙なゴリさんが、お店の下見までするとはビックリ! でも、自分で納得したうえで、いい作品を作るのがゴリさんですね。その姿勢は映画製作にもつながります。
「映画作りには、たまらない魅力があるんですよ。脚本を書いたりスケジュールを調整したり、大変なことはたくさんありますが作り続けます。47都道府県ある中で、これだけ特徴のある島に生まれたんですよ。地元である沖縄を撮らないともったいない。恩返しの気持ちもありますし、いろいろな感情に向き合いながら撮影しています」