お笑い芸人として映画人として、日本のエンタメ界で幅広く活躍しているゴリさん。
中学校の同級生である川田広樹さんと、1995年にお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成。数々のメディアで人気を博し、瞬く間に全国区の芸人さんになりました。インタビュー第1弾では、故郷・沖縄の話題を中心にエンターテインメントへの向き合い方を聞きましたが、第2弾は「ゴリエ」ちゃん、そして「父親として」をキーワードに話していただきました。
(インタビュー第1弾:「復帰っ子」のゴリ、沖縄に恩返しを続ける理由と“10年計画のフチ歩き”を通して新たに見えた沖縄の“後頭部”とは)
コロナ禍のどん底乗り越え再ブレイク! “令和のゴリエ”が気をつけていることとは
公演が中止になったり、沖縄に帰るスケジュールがキャンセルになったりと、コロナ禍でさまざまな影響を受けたと話すゴリさん。どんな思いで過ごしていたのでしょうか。
「仕事が激減して不安でいっぱいでした。若手のころ、スケジュールが詰まって“面倒くせーなー”って思ったことも正直ありましたが、コロナ禍のつらい時期を思い出すと、恐ろしくて涙が出そうです。みなさん不安だったでしょうが、緊急事態になるとまずいらなくなるのはエンタメからなんですよ。仕事がある人とない人、はっきり分かれましたよね。落ち着いてきたら心の救いとしてエンタメが必要とされ、本当によかったです」
──不安を乗り越えたゴリさん、現在はピークと思えるくらい多忙なのでは!?
「レギュラー番組が7本くらいかな。でも全然……というのも、2000年代は『ワンナイR&R』(フジテレビ系)他、レギュラーと準レギュラーで14本くらいあったんです。1日に3本収録するなど、おかしな感覚でした(笑)。その後ヒマになりましたけど、確かに今は休みがあまりありません。映画製作を始めたらさらに忙しくなりますが、ありがたい地獄ですよ」
──それにしても、'21年以降、ゴリエちゃんブームが再来! どういうことでしょう!?
「自分で歩いて選べる道、周囲から勝手に方向を変えられる道。人生には2つの道があると思うんです。自分でつかみ取っていく前者の人生がありながらも、ゴリエちゃんの復活はまったく予期していませんでした。勝手に僕の人生につながってきたので、不思議な感覚です」
──2年前、宮迫博之さん演じる「轟さん」とのYouTubeチャンネル共演がきっかけですか?
「きっかけはYouTubeと『くらしのマーケット』のCMで、同時期でした。YouTube出演は、“50歳近くでまたゴリエちゃんをやるのもな〜”と乗り気ではなかったですが、引き受けたんですよね。そしたら別でCMキャスティングが進み、出演が決まったんです。ゴリエを見ていた世代のテレビマンや制作会社の方たちが権限を持つ立場になり、呼んでくれたようです。
CMで終わりかと思ったら、バラエティー番組『新しいカギ』(フジテレビ系)で16年ぶりに『Pecori Night』を踊ってくださいと言われ、自分を追い込み1か月間、本気で練習しましたよ。さすがにもう終わるつもりでいたら、'22年は3か月限定で深夜番組『ゴリエと申します。』があって、今年からお昼の新番組『ぽかぽか』(ともにフジテレビ系)に水曜日レギュラーで出演中。生放送なのでゴリエちゃん口調だけではなく、ゴリの思想が出てしまうかもしれません(笑)。でもチャンスと思って、世間の反応を受け入れます」
──ゴリエちゃんはどんな存在だと思っていますか?
「ロケで若い子に会ってもゴリエを知らないので、派手でクセが強い人に見られます。でも多感な時期にゴリエちゃんを見てくれていた世代は当時、支えられたと思ってくれているようで、“大好きなゴリエちゃんに会えるなんて〜”と泣いちゃう人もいます。ゴリエちゃん世代に刺さってくれたらやりがいを感じますし、若い子が面白がってくれるのも楽しいです。全身でゴリエちゃんになりきって、みなさんの夢を壊さないように気をつけています。でも現実は、20代の女性マネージャーにGカップブラジャーのホックを留めてもらっているので、複雑な気分です(笑)」