またどこかの道端にて
なぜ私たちは歌を歌うのだろう。言葉と歌が同時に誕生したという研究もあるみたいだが、少なくともそれを語るのは、0.3音痴の僧侶のやる仕事ではないだろう。
思えば、星野源は楽曲のなかで、歌そのものを歌っていることが多い。
《君と僕が消えた後
あの日触れた風が吹いて
その髪飾りを揺らす
あの歌が響いた》
──『Hello Song』より
《闇の中から歌が聞こえた
あなたの胸から
刻む鼓動は一つの歌だ
胸に手を置けば
そこで鳴ってる》
──『アイデア』より
これらはどれも贈りものだ。少なくとも自分が野生のブッダだと思える人が同時代を生きていて、新しい楽曲を耳にすることができることを喜びとして生きていたい。正直に言うと、この連載で言いたいことはそれだけである。
さて連載が終わった私はなにをすればいいのだろうか。若輩とはいえ僧侶たるもの、ブッダを目指して修行するべきなのかもしれないが、うーん。
歌。歌しかないだろう。それに、自転車はいいものである。
もしも街中で0.3音痴の歌の落としものを見つけたときは、こっそりと再会を喜んでください。読者の皆さん、これまで読んでくださり、ありがとうございました。またどこかの道端にて。
(文/稲田ズイキ)
《PROFILE》
稲田ズイキ(いなだ・ずいき)
1992年、京都府久御山町生まれ。月仲山称名寺の副住職。同志社大学法学部を卒業、同大学院法学研究科を中退のち、渋谷のデジタルエージェンシーに入社するも1年で退職。僧侶・文筆家・編集者として独立し、放浪生活を送る。2020年フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の3代目編集長に就任。著書『世界が仏教であふれだす』(集英社、2020年)