メンバー全員が“何かしらのオタクである”というユニークな要素を持つ、10人組の女性アイドルグループ『でんぱ組.inc』として活躍する、古川未鈴(ふるかわ・みりん)さん。可愛らしい容貌だが、専門誌で連載を持つほどのゲーム好きという一面も持ち、キャッチコピーは「歌って踊れるゲーマーアイドル」。かつては「いじめられていて、ネットゲームだけが生きがいだった」という彼女が、アイドルという天職に出合い、奮闘してきた日々を語ってもらいました。
【「アイドル」……1.偶像。 2.崇拝される人や物。 3.あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人。(デジタル大辞泉より)】
人と話すよりも、ゲームの世界での仲間が大事だった
──さっそくですが、子どものころは、どんな子でしたか?
「香川県高松市の生まれなんですけれど、親が転勤族だったんです。生後半年で引っ越したり、小学校も3つくらい通ったりと、常に住む場所を転々としていました。でんぱ組.incの楽曲『W.W.D』(2013年発売)の歌詞(※)にもあるのですが、中高生時代は部屋に引きこもって、ゲームばかりしていたんです」
(※)《いじめられ 部屋にひきこもっていた ゲーセンだけが 私の居場所だった》(『W.W.D』の歌詞より引用)
──引きこもりからアイドルになられたのは意外です。タイプが違う感じがしますが……。
「アイドルを目指したのは、いじめがきっかけだったんです。小学校のころから、テレビ番組でモーニング娘。やSPEEDを見て、キラキラしている存在に憧れていました。あるとき、私もテレビに出る側の人間になれば、いじめてくる人たちを“ぎゃふん”と言わせることができるんじゃないかなって思ったんです。そこから、アイドルになりたいって思い始めました」
──『W.W.D』の歌詞にもありますが、動機はある意味“マイナスからのスタート”だったのですね。
「はい。誰かに元気を与えたいとか、勇気を与えたいっていうスタートじゃなくて(笑)、復讐心から始まっているんですよ。そこから、いろいろとオーディションを受けました。でも、モーニング娘。もAKB48も全部、書類落ち。“アイドルに向いていないのかも……”という挫折を味わいました。そこでゲームにハマって、引きこもりになったんです」
──どのようなゲームにハマったのですか。
「コンシューマーゲーム(家庭用ゲーム)も好きなのですが、MMO(Massively Multiplayer Online Role-Playing Gameの略。大多数のプレイヤーが同時に参加できるオンラインゲーム)と呼ばれるネットゲームの世界にのめりこんでいて、“私は、おばあちゃんになってもこの世界のなかにいたい”って思っていたくらい。人と話すよりも、ゲーム内のチャットでコミュニケーションを取るほうが好きで、本当にここに骨をうずめる気持ちでやっていました」
──ネットゲームの世界だと、どんな時間につないでも、だいたい誰かいますからね。
「そうなんです。いつつないでも知り合いがいて、たわいもない会話ができる。年齢も性別も職業の枠も超えた居心地のよさがあったので、学校の友達よりも、ゲームのコミュニティのほうが大事でしたね」
──ゲームの世界に没頭しているところから、どうやってアイドルになったのですか?
「(はじめはゲームセンター目当てで)秋葉原に行って、メイド喫茶に出合ったんです。“芸能人になれないのなら、メイドから始めよう”って思って、そこで働くようになりました」
“古川未鈴”の誕生。メイド喫茶の店員から念願のアイドルへ
──接客業は嫌ではなかったですか?
「このころから“未鈴”を名乗り始めたのですが、本名ではなく、“未鈴ちゃん”として人と接することが不思議と楽しかったんです。私が話しかけることで、お客さんに喜んでもらえるといううれしさも覚えました」
──メイド喫茶は、自分に合っていたと思いますか?
「はい。毎日違うことが起きるので、なんて面白いんだろうって感じていました。あと、人が喜んでいるところを目の前で見られることもうれしかった。メイド喫茶を経験すると、おもてなしの心がより強くなるんじゃないかなって思いますね」
──そこから、でんぱ組.inc結成のきっかけとなるライブ&バー『秋葉原ディアステージ』(以下、ディアステ)で働き始めたきっかけは何でしたか?
「ちょうど秋葉原に萌え文化が広がり始めたころで、“少しでも自分の名前を売りたい”という思いでディアステに入った、という感じですね。その当時はディアステのバイトだった、もふくちゃん(福嶋麻衣子・でんぱ組.incの現プロデューサー)とは、一緒に歌って踊ったりもしました。
今考えれば幻の時代なんですけれど、もふくちゃんは絶対音感の持ち主なのに、歌はめちゃくちゃ下手でしたね(笑)。もふくちゃんから教わった言葉で、“やりたいことは口に出せ”っていうのがあって。だから周りにもずっと“絶対にアイドルがやりたいです”って言い続けていました。その結果、でんぱ組.incが生まれたんです」
──いわゆるアイドルのスタートとしては、異質な感じですね。
「そうですね。でんぱ組.incは、大手事務所がオーディションをしてメンバーを集めて始まった、というわけではないんです。2人組(古川未鈴、小和田あかり)のユニット『でんぱ組』から始まって、メンバーが増えていった。最初から舞台が用意されていたアイドルではなかったので、手探りでしたね」
──未鈴さんは、ソロになるつもりはなかったのですか?
「ひとりでステージに立つことよりは、みんなで何か1曲を歌って踊るのがよかったので、ずっと“ユニットでやりたい”と主張し続けていました。でも当初は、グループで握手会とかリリースイベントを開いても、10人も来ないんですよ。“このお客さんとの握手が終わったら列が途切れちゃうから……”と、粘りに粘って5分くらい握手したこともありました」
──えっ、本当ですか!?
「本当に人気なくて……(苦笑)。“誰にも求められていないな”っていうのが、でんぱ組初期の感想ですね。同じころに、アイドルソングとアニメソングって、似ているようで相反するものだって、実感したんです。当時は二次元VS三次元みたいな風潮があって、でんぱ組は、その中間を行くような立ち位置だったから、どっちのイベントに出ても受け入れてもらえない。“どこにも需要がないんだな”って思っていましたね」
──つらいですね。センターならではの重圧も感じたりされたのですか?
「“未鈴がセンターね”って言われたわけではなくて、なんとなく“私が真ん中に立つね”って感じで、すべてが“なんとなく”で始まった。最初はそんな感じでしたね」
──苦しい経験も多かったなか、どうやってアイドルとしてのモチベーションを保とうとされましたか?
「もふくちゃんが、“電波ソングとアイドルを掛け合わせたグループはまだいない”って言ったんです。“だったら、今は世間に認められていないけれど、いつかは受け入れられるはず”。そう思って、謎の自信で活動を続けていましたね」
“どん底時代”を乗り越え、でんぱ組.incに追い風が
──2010年にはTOKYO IDOL FESTIVAL(女性アイドルグループを中心としたフェス)が始まり、ご当地アイドルを含め、数多くのアイドルグループが誕生してブームが起きていましたよね。
「はい。私たちにとってターニングポイントになったと実感しているのが、賞レース系のライブ(2012年2月開催『第1回アイドル横丁杯!!』)に出演したこと。お客さんの投票で順位が決まるのですが、そこで優勝したら、BABY METALや°C-uteが出演していた『第2回アイドル横丁祭!! 生バンドスペシャル』という、SHIBUYA-AXで行われるライブに参加することができたんです。
それまでは、メンバーの夢が美術をやりたい、声優になりたい、アニソンを歌いたいって、みんなバラバラだったけれど、初めて“優勝するぞ”という共通の目標ができたんです。最終的に向かう先が同じになっているなっていう感覚が芽生えました」
──無事、勝ち上がって出演されたライブでは、盛り上がりましたか?
「“出演できなかったみなさんの気持ちを背負って歌います”って言って、まず『でんぱれーどJAPAN』を歌ったんです。この曲は、今ではライブの定番曲だけれど、その当時はまったく受け入れてもらえなくて。“なんだこの曲は……”っていうリアクションでした。『Future Diver』(ライブではファンとの掛け合いコールもあり、盛り上がる)という曲も、流れて喜んでくれたのはファンの人だけでしたね。でも、そのライブで、“グループを続けられるな”って確信したんです。なんだか流れが変わったなって思えました」
──メンバーそれぞれ違うタイプが集まっているところも、でんぱ組.incの魅力だと思いますが、タイプが異なるからこそ大変だったことはありましたか?
「逆に、6人組時代(2012年~2017年)のでんぱ組.incって、全員オタクだからこその、いいパワーの出し方ができていたなって思うんです。守備範囲の違うオタクが何人もいた。好きなものを押しつけず、それぞれ楽しむから、仲よしこよしグループじゃない。そんなことよりも、“野生のプロ”が集まって、個々の趣味やパワーを持ち寄って発揮したのが、でんぱ組.inc。その形がいいなって思っていました」
メンバーは「戦友」。在籍したことが誇りになるグループに
──アイドルグループによっては、コンサート終わりなどに、メンバー同士の仲のよさをうかがわせるバックステージからの画像をアップしたりしますが、でんぱ組.incはそういう雰囲気ではないですよね。
「ないですね。打ち上げとかも、やらないですからね。最初の武道館公演(2014年5月6日)をやったときも、全員、直帰しましたね。あれだけみんな“武道館ライブが目標”って言っていたのに、終わったら、“じゃあ”って(笑)。あっさりしているんです」
──(笑)。バックステージでアイドルが泣いている姿などを見るのも、ファン心理としては好きなのですが……。
「アイドルは泣きがちですからね(笑)。でんぱ組.inc特有のこの関係を、何て言葉で表せばいいのかなって思って使っていたのが、“戦友”だったんです。趣味や個性は違うけれど、同じ戦いを挑んでいる。この表現が、いちばんしっくりくる気がします」
──ファンの間では“なれ合い”と言いますか、メンバー同士の仲がよさそうな光景を見たいと言う声もありそうですが。
「ファンの方からしたら、もっと見せてくれっていうのもあるかもしれないけれど、これには私の根っからの人づきあいの悪さも影響しているというか(笑)。みんなでいる現場でも、ひとりでご飯に行ったりしていましたからね。でも、それが嫌な感じに映らないグループっていうか。誰も無理に、自分のほうに引き込まない。オタク同士にとって優しいグループなんですよ」
──ほどよい距離感がいいのかもしれないですね。ここ数年は、コロナ禍の影響もあってアイドルグループの活動休止や、解散なども多いですが、でんぱ組.incはメンバーが変わっても続いていますね。
「もちろん“解散しよう”っていう話は、でんぱ組.incの歴史上でも何度か出てきた。終わらせることもできたんですけれど、そのたびに“でんぱは、まだまだいけるんじゃないか”っていう気持ちになって。最近だと、2020年の11月にメンバーのひとりが卒業を発表して、5人になりそうな時期があったんですけれど、もふくちゃんに“新メンバーを入れたほうがいいよ”って言って、結果的に5人、加入することになったんです」
──未鈴さんは、でんぱ組.incでの活動をどうとらえていますか?
「卒業していった子たちにとって、“元でんぱ組.incだった”ということが恥ずかしくないグループでありたいです。そのキャリアが誇りになってくれたらいいなって思う。辞めるっていう決断は勇気がいることですし、また次の夢に向かって進めるのってカッコいいから、私は卒業に対してネガティブなイメージがないんです。でんぱ組.incを踏み台にして、好きなことをやっていける。そういうグループでもいいんじゃないかなって、個人的には思っています」
「メンバーの入れ替わりなど、変化によって離れてしまうファンはいるけれど、変化に対してマイナスなイメージは持っていない」そう語る古川さん。第2弾では、アイドルとして進化し続ける彼女に、ライブで自身の結婚を発表し、ファンを驚かせた真相についてなどを詳しくお聞きします。
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
古川未鈴(ふるかわ・みりん) ◎香川県出身、165センチ、A型。『でんぱ組.inc』のセンターを務める。キャッチフレーズは「歌って踊れるゲーマーアイドル」。コンシューマーからアーケード、ネットゲームまで幅広く網羅し、ゲーム番組のMCもこなす。新体操やクラッシックバレエの経験を生かしたダンスも得意。イメージカラーは「赤」。
Twitter→@FurukawaMirin、Instagram→furukawamirin、ブログ→「みりんのメモ帳.txt」
でんぱ組.inc Zeppツアー2022 『お前らDEMPARKまで行くんだろ?乗りな!』
一般チケット、各種プレイガイドにて発売中!
▼イベント日程
2022年4月22日(金):福岡・Zepp Fukuoka
2022年5月7日(土):札幌・Zepp Sapporo
2022年6月11日(土):東京・Zepp DiverCity(TOKYO)
2022年6月14日(火):名古屋・Zepp Nagoya
2022年7月8日(金):大阪・Zepp Namba
▼詳細はこちら
https://dempagumi.tokyo/news/2022/01/10/2022_zepptour/