お笑いコンビ・キャイ〜ンのウド鈴木が、短歌集『ウドの31音』(飯塚書店刊)を出版した。芸人仲間みんなが彼のことを、「オンもオフも、裏も表も変わらない、純朴な性格」と表現するが、そのとおりの彼の温かさが垣間見られる歌が綴られている。芸人ウドが歌を詠み始めた心境を聞いてみた。
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──数年前から、ツイッターで短歌を上げていましたが、歌を綴ろうと思ったきっかけがあったのでしょうか。
ツイッターを始めたころに、どうやって文章をツイートしていいか悩んだんです。というのは、自分の文章はどうしてもつらつらと長くなってしまう。それに対して相方の天野くんが、スパッとわかりやすく短く書く。なんで自分はできないのか、どうすれば上手にまとめられるんだろう、と考えた結果、短歌調にすれば短く収まるかもしれない、と思いつきました。
そんなとき、なんとなく川べりを歩いていたら、ふと頭に五・七・五・七・七の言葉が思いついたんですよね。それから、ポッと頭に短歌調の言葉が浮かんでくるようになり、だんだん溜まってきたので、今回、本にできたらなって考えました。生きている間に形にしたかったというか、自分の文章が長くなりがちなところへのアンチテーゼです。あと、そろそろ周りの人に恩返しをしいないといけないという気持ちというか。
──この本を読むとホッとしますし、確かに感謝の念が伝わってきます。
自分自身、すべて読み返すとみんな同じテーマなんですよね(笑)。なんとなく、ほっこりしてもらえたらいいな、というね。
僕自身は三代目魚武濱田成夫さんのような詩が好きなんですけど、自分はどちらかというと、そっちタイプではないんですよね。こうあるべきだ、バーン! と訴えるものがないというか。若いころは、憧れとか理想とかにこだわっていて、それに近づくためにはどうあるべきか、とか、誰かに何を言われようとも頑なに変えないときもありましたけどね。
──そんな頑固な面は想像できません。
いえいえ、芸人になりたてのころは、頑固でしたよ。幼少期なんてもっとそうだった気がします。自分のことをわかってほしい、気にしてほしいというのが強かった子どもだったんですよね。それなのに人見知りで、他人に自分をアピールできないんですよ。
芸人を志すきっかけは小学校の友達のパフォーマンス
小学生のときに、そんな自分をどうしたらいいだろう? と悩みまして、当時は絵が好きだったので、“絵を頑張ってみたらわかってくれるんじゃないか”と。それで、お楽しみ会が図書室で開かれるときに奮起したわけです。家族や同級生、先生が見ている中、自分は紙芝居をひとりでやりました。紙芝居だから自分の姿は見せずに裏から声を出すだけだし、なにせ得意な絵が披露できますからね。
ストーリーはオリジナルで『ねずみのヒーロー』です。小さな声で1枚ずつめくりながら、セリフを話しました。最後の1枚を読み終えたら、ぽつりぽつりと拍手が聞こえてきました。でも、なんとなく会場は暗い。そりゃあそうですよね、登場するのはネズミだけ、しかもみんな灰色ですから。まさに色が地味なんですよ! モルモットやハムスターも出てこない。今思うと、なんでネズミ色のネズミだけの話にしてしまったのかと反省しています。THE BLUE HEARTSの『リンダ リンダ』の歌詞に出てくるような、清らかなメッセージ性もなく、
──可愛いじゃないですか(笑)。
問題はその後、次の番の友達がすごかったんです。八代亜紀さんの『雨の慕情』を派手なカツラと衣装、演歌歌手ばりにメークして、“雨々ふれふれ もっとふれ”と熱唱しながら、ひじに下げたカゴから飴をまいて会場を歩き、大爆笑ですよ! 僕はものすごく感動して、やっぱり表に出ないと人はダメなんだなって感じましたね。それが芸人を目指すきっかけになりました。
中学に入ったら一気に変わろうと、入学式の日に、
──“今日から俺は!!”ですね(笑)。
呼び出されたシーンは、こんな感じです。
「お前、剃り込み入れてるけどどこの小学校出身なんだ」
「はい! 自分は◯◯小学校の鈴木任紀(ひでき・本名)です!」
「お前はペンギンか!」
すごく緊張しちゃって“気をつけ”の姿勢のままで、手が外側に反り返ってしまってたんですよね。「いえ、ペンギンではありません」って答えたんですけど、伝わらず。だからその手がペンギンだって言ってんだよ! って怒鳴られまして。結局、お前はペンギンか、違います、の会話を繰り返し、
「もう、いい。お前はツッパリでもないし、ガキ大将でもなんでもない。変なヤツだから早く帰れ」
と言われて無事に帰りました。そこから学校で会うたびに、「おい、ペンギン!」って声をかけられるようになり、憧れていたツッパリの先輩からボンタンをもらったんですけど、自転車で転んで穴が開いちゃいました。
事務所の先輩・夢麻呂に笑いの基礎を教わった
──どうやってもみんなから愛されてしまうウドちゃんですね。それでも、人知れず苦労したことなどはありますか?
僕の家族は、両親、姉2人と弟、祖母の7人なんですけど、女の人のパワーに包まれて育ったなと感じてるんですよね。母と祖母はいつも「お前はやればできるんだから」と事あるごとに言ってくれていて、いつも学校から帰ると母が近所のママ友とよくお茶を飲みながら、「うちのヒデキはやればできるんだよね。やればできるんだけど、やらないのよね」って言いながら笑っていました。
なので自分は、可能性があるのにやらないから結果が出ていないだけ、とずっと思っていましたよね。そうなんです。自分に対する可能性を信じて、ここまで育っちゃったんです。だから芸能界に入っても、きっと必ずお笑い芸人になれる!
バカでもいい 利口でもいい ハンパでも 枠とびこえて 大バカがいい
大いなる 愛に包まれ 育てられ 感謝と陳謝 心より捧ぐ
──『ウドの31音』より
でもね、やっぱりすべては周りの人のおかげです。東京に出てきて、事務所の浅井企画にアポもなく飛び込んだときも、たまたま事務所にいた夢麻呂さんが僕を育ててくれました。ついて行った現場は、志村けんさんの『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)。夢麻呂さんは、その人気番組の前説をやっていたんです。志村けんさんや大御所さんが出る前に、まだ知られていない芸人がお客さんを笑わせて盛り上げていくんですけど、夢麻呂さんの全身全霊の話術とパフォーマンスで、
夢麻呂さんは、芸名もつけてくださいました。バイト先もご一緒にお世話になったのですが、
しかも、自分は最初お笑いでツッコミをやろうとしたんですけど、そこでも夢麻呂さんが、オマエはボケだ、と。自分のキャラを知らないとダメだということで、夢麻呂さんの劇団に呼ばれて、初舞台を踏みました。
今も鮮明に覚えているのは、初舞台のとき、本番5分前になって、お前が前説をやれと。僕は、「本番前に言われたってできませんよ」と袖にしがみついたんですけど、「ウドはいちばん間近でオレの前説を何回も見てきたんだ、できないはずはない!」って引っ張る。そうやって、できる、できない、の押し問答があり、本番直前に暗転してバーンッ! ステージに押し出されました。
押し出す直前、とにかくステージの前で黙って立ってろ。何だこいつ、変だなって思われてお客さんがクスクス笑い出したら、ニコッと歯を出して笑え。それを繰り返すんだ、と夢麻呂さんに言われ、そのとおりにやりました。衣装は、その後、夢麻呂さんと歌う『仮面舞踏会』(少年隊)の衣装、でも坊主頭です。シーンとする中、クスクスと笑い声が聞こえ、今だ、という瞬間にニコッ。爆笑です。
あのとき、すべてを説明しなかったですけど、緊張をほぐすために前説をやらせたんでしょうね。緊張と緩和、そして、笑いの基礎が身を持ってわかった瞬間でした。すべて説明せずにやらせるというのも、また夢麻呂さんに教えられたことです。
あっ、苦労したことをお話しするの、忘れてました(笑)。
天野ひろゆきと一緒に「海が見えるカフェをやりたい」
深く悩んだりすることがあまりなくて、寝たら忘れるんですよね。悩んで寝られないということもないんです。悩みそうになったら、おいしい酒を飲む、そして、寝る。悩んだときはそうすると、翌日はいくぶん軽くなってるんですよ。
でも、その時々で最善を尽くしてはいます。それでダメなら食べて寝ちゃう。それと、天野くんと妻には何でも話します。ずんの飯尾和樹さんにも話します。飯尾さんには「それ、自分で溜めておいてくれないか」って言われたこともありますけど(笑)。
なにもかも 手につけられない そんな時 一回寝てみる これがいいんだ
成功の 自分もいいが 失敗の 自分も認めて 寄り添い救う
──『ウドの31音』より
──悩みそうになったら食べて寝て、何かがいつの間にか解決してくれている。理想ですね。『ウドの31音』にはそんな人生の教訓が満載でした。
教訓なんてそんな恐れ多い(笑)。いえね、僕にも建前と本音はあって、理想もあるんですよね。そこに向かって寄り添うように生きていきたいんですけど、常に51対49、49対51の割合でポジティブとネガティブをさまよってます。
80対20でもなく、30対70でもない。いつもどっちかの自分がどっちかを慰めたり認めてあげたり、褒めてあげたり、叱ってみたり。できないのも自分なんだ、できたときも自分なんだ、失敗も成功のうちというくくりで生きていくんだという気持ちが表れた1冊になっているのではないでしょうかね。
自分は『赤毛のアン』が好きなんですけど、苦境でも明るく生きているアンに、ステイシー先生が、「明日はいつも新しい日、失敗はないわよ」って言うんです。自分もその言葉を胸に毎日生きていた時代があったんですよね。って、毎日、失敗してんのかよ!(自分にツッコむ)。
それでも、生きている、生かしてくれる世の中があることが幸せなんです。でもね、僕も成功したいですよ!
──ウドちゃんは成功しているのでは?
まだしてないですよ。天野くんと喫茶店をやりたいですよ。海が見えるカフェで、天野くんがオーナーで、お客さんと話しながらゆっくり時を過ごすんです。それもしたいけれど、やっぱり死ぬまで天野くんと漫才をやりたいですよね。天野くんと漫才しているときがいちばん楽しい。それがずっとできればいいですね。漫才と喫茶店。あとはもういいです、今世は。これでいいのだ、バカボンのパパです。申し訳ございませんでした(ペコリ)!
──ウドちゃんはいつも謝っているイメージが(笑)。
悪いと思ったら謝りなさいと祖母に言われて育ったので、今は何でもかんでも謝っています。座右の銘が「生まれてごめん」。それは、太宰治さんの『人間失格』へのオマージュなんですけど、飯尾さんやウッチャンナンチャンの内村光良さんからも、「ウドは謝ってスッキリしたいだけだろ」とツッコまれます。生まれて生きていることでご迷惑をかけますけど、すみませんね、受け止めてください。
(取材・文/いくしままき)
《PROFILE》ウド鈴木(うど・すずき) 1970年1月19日、山形県生まれ。1991年に、天野ひろゆきとお笑いコンビ『キャイ~ン』を結成。バラエティーを中心にドラマでも活躍。レギュラー番組『旅してゴメン』(メ〜テレ)「定禅寺しゃべり亭」(NHK仙台)、『キャイ~ンのティアチャンネル』がYouTube配信中!